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デザイナーのための知財10問10答|第2回 「似ているデザインがすでにある」のはダメなのか

第2回 「似ているデザインがすでにある」のはダメなのか

「先日、制作したロゴですが、商標調査をしたら先行商標はなかったんですが、インターネットで検索したら似たようなやつが見つかってしまいました…」

 

ロゴだけでなく、デザイン全般で、こういう相談が、デザイナーからも、クライアントである企業からもされる機会が増えています。いわゆる「五輪エンブレム問題」以降、似たようなデザインが見つかることを懸念する空気や閉塞感がクリエイティブや広告の業界に充満しているように感じます。

 

でも、実はデザイン(としてアウトプットされた表現)が似ているだけでは著作権侵害は成立しません。すでにある他の著作物(X)と同一性が認められる作品(X‘)ができたとしても、それが独自に創作した結果であり、Xに「依拠」する(少し難しい言葉ですが「アクセスする」くらいの意味です)ものでなければ、著作権侵害にはなりません。これを著作権法の世界では、「依拠性」とか「独自創作の原則」などと呼びます。別の言い方では、著作権法は偶然の一致を侵害としない、という言い方もあります。クリエイターであれば一度は経験があると思いますが、同じ時代に同じ空気を吸って表現活動をしていると、偶然に似たような、あるいはびっくりするくらい同じような表現が生まれてくることがあります。これは比較的にシンプルな表現になりがちなデザインであれば、殊更そのように言えます。著作権は、特許権や商標権、意匠権などの他の知的財産権のように特許庁やそのデータベースに登録されているわけではないので、独自に創作した場合に、すでに同一または類似の著作物があったという理由だけで著作権侵害が成立してしまうと、クリエイターは自由に創作活動ができなくなってしまいます。このため、著作権侵害が成立するためには独自創作ではなく、元の作品に「依拠」したことを原告側(盗作だと訴える側)が主張立証しなければならない、というルールになっているのです。この独自創作のルールからすれば、冒頭の事例でクリエイターはオドオドする必要はありません。何かを参考にして作成したロゴではなく、独自に創作したロゴであることが示せれば著作権侵害は成立しないことになるからです。

 

私たちはすでに多くのデザインや表現が生み出された後の社会に生きています。また、インターネットなどの情報技術の発達により、それらの過去に生み出されたデザインなどの表現が容易に検索できるようになり、可視化されるようになっています。このような時代において、著作権法は、独自創作の原則というルールによって、クリエイターが自由に表現できる余地を確保してくれているわけです。違う言い方をすると、著作権法は、来歴が異なれば、同一または類似の表現であっても、違う表現として保護するということです。表現の外形が仮に似ていても、生み出された出発点と過程が異なれば、違うデザインであり、表現であると法的にも言えるのです。

 

では、どうやって独自創作したロゴであることを示せばよいでしょうか。一番シンプルな方法は、盗作だと主張している側の作品よりも、自らの作品が前に制作されていたことを主張立証することです。当たり前ですが、時系列で、前に制作された作品は、後に制作された作品を参考にすることはできません。この主張立証のために、創作した時点の消印を取っておく、なんていうことがされるケースもありますが、ほとんどのクリエイターはそんなことをやっていません(ただし、最近ではブロックチェーン技術により創作時点を記録するBindedというサービスも出てきています)。
後で創作された表現がそれ以前に創作された表現とは独自に創作された、という主張立証はどのようにすればよいでしょうか。実務的には、そのロゴなり、デザインが、別の出発点や過程を辿ってきたことがわかるような、スケッチや提案資料などが証拠として重視されています。クライアントに対してプレゼン等のために提案資料を作成している場合はそれなりにあると思いますが、より重要なのは手書きのスケッチ等、そのデザインが生まれてくる瞬間を捉えた証拠が残っていると比較的容易に立証ができます。仕事が終わったら、スケッチやデッサン、提案資料等を捨ててしまうデザイナーも多いかもしれません。実際、私がデザイナーにこういう資料の提示を求めるとデザイナーはほぼ例外なくとても恥ずかしがります(笑)。ですが、こいう資料が後々我が身を守る証拠となるわけです。例えば、下記はやり直した後の五輪エンブレムの応募要項ですが、「応募作品の知的財産権等について」の第4項を見てみてください。「制作過程に関する情報や制作段階におけるスケッチ、デッサン等の関連資料を確認させていただく場合があります」と記載されています。これは言うまでもなく、五輪エンブレム問題があったことにより追記されたものだと考えられますが、このようにロゴ等の提案時に「カンプ」とともに、デザイン過程の一式を納品することを求める発注者が少しずつ増えてくると私は予想しています。

「東京2020大会エンブレム デザイン募集のご案内(応募要項)
https://tokyo2020.org/jp/games/emblem/data/guidelines-JP.pdf

 

こういう話をすると、法的には大丈夫だとしても、似ているものがある、とネット等で炎上することがこわい、企業のレピュテーションリスクが害される、という人がいます。でも、それってナンセンスだと私は思います。だって、価値観がこれだけ多様化した現在、言いたいことを言う人は必ずいます。そんな社会において、ごく一部のクレイマー(法的に問題ないものを揶揄する人のことをそう呼んでもよいでしょう)の様子をうかがって、シンプルなデザインの魅力をあなたは放棄するんでしょうか。過去に似ているものがある、という理由だけでその表現をNGとしてしまう社会は、シンプルなデザインが許されない社会です。そんな社会は息苦しくないでしょうか。これはクライアント・発注者側とデザイナーが共に闘わなければならない問題であり、私たちの世代に問われている課題ではないかと感じています。

 

たしかに、これまで見たこともない、まったく新しいデザインが生まれれば、大変喜ばしいことです。でも、先人たちが遺した過去のデザインをすべて確認することなど不可能ですし、古今東西のデザインを知れば知るほど、あらゆるデザイン表現は出尽くしているのではないか、と呆然としてしまう。デザインとは課題解決だ、とはよく言われることですが、そうだとすれば、課題解決の方法が無限にあるわけではなく、むしろ一定のパターンがあると考えるのが自然です。そして、その課題解決の方法がシンプルになればなるほど、アウトプットとしての形(ここではあえて「表現」という言葉は使わないようにしますが)は有限です。

 

私たちは「似ているものはすでにどこかにある」という時代を生きています。「似ているものはすでにどこかにある」という地点から、私たちはもう一度デザインを始めてみるべきではないでしょうか。

水野 祐 (みずの たすく)

弁護士(シティライツ法律事務所)。Arts and Law理事。Creative Commons Japan理事。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(リーガルデザイン・ラボ)。グッドデザイン賞審査員。IT、クリエイティブ、まちづくり等の先端・戦略法務に従事しつつ、行政や自治体の委員、アドバイザー等も務めている。著作に『法のデザイン −創造性とイノベーションは法によって加速する』(フィルムアート)、『オープンデザイン参加と共創から生まれる「つくりかたの未来」』(オライリー・ジャパン、共同翻訳・執筆)など。

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