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クリエイターインタビュー|阿部 寛史さん(前編)

フォントメーカーのモリサワが2017年秋にリリースした17の新フォントの中で、とりわけ注目を集めた書体「みちくさ」。 縦組みの際に文字のつながりによって形が変化するという同書体を手掛けたのは、東松島市出身で現在は東北工業大学に研究室を置く阿部寛史(あべ ひろふみ)さんだった。 まさにその書体が体現するように「うたい、おどる、書体デザイン」を標榜する阿部さんがタイプデザイナーとなるまでの道のり、書体作りという仕事の中身、そして仙台について聞いていく。

 

―タイプデザイナーとして現在に至るまでの経緯をお聞かせください。

学生時代は東北工業大学でレタリングを用いてグラフィック作品を作っていました。タイポグラフィは文字を美しく見せるための技法ですが、グラフィックデザイン全般で応用が利くと思っていて、将来どう転んでも間違いないかなと。当時は特別に文字が好きだったというわけではなく、将来を考えてタイポグラフィを身につけるという道を選びました。ものづくり主体の研究室で、パソコン上ではなく実際に手を動かしてレタリングで文字を書いていくことをしました。気づけば文字が大好きになっていました。

卒業後は東京でグラフィックデザイン系の広告デザインの事務所に入って、新聞広告やチラシ、POPなどを作る仕事を2年間経験しました。その後、もっと幅広いことをやりたいなと思って、パッケージデザインの会社に転職します。そこで初めてブランディングや商品企画など、商品そのものから作っていくデザインを経験しました。

―そちらも都内ですか。

その会社は青山にデザイン事務所があって、青山でデザインの仕事なんておしゃれじゃないですか。喜んで半年くらいアルバイトをしていたら、勤務態度がよかったみたいで正社員にしてもらえることになって本社に行ってほしいと言われました。本社はどこかというと和歌山で…和歌山に行って働くことになりました。

そこでデザインの勉強をしつつパッケージ作りの仕事をしていた時、モリサワ(国内最大手のフォントメーカー)の「タイプデザインコンペティション」というコンペがあることを知ります。以前から個人で書体作りをしていてフリーフォントの公開なども行っていたので、いい機会だから応募してみようと思い、仕事から帰ったら書体を作って、土日は朝から晩まで作って応募しました。その直後、勤めていた会社が解散するという話になり、タイプデザイナーとして独立することを決めました。

―まだコンペの結果は出ていなかったんですよね。

結果が来る前に独立しちゃいました。すごく楽観的だったんですね。それが26歳か27歳の頃で、結局コンペは最終審査まで進んだものの受賞には至りませんでした。

独立したての頃は時間を持てあましていたので、書体デザインやグラフィックデザインのセミナーに通って、大崎善治さん(フォントワークスのフォントを手掛けるフリーランスの書体デザイナー・グラフィックデザイナー)と意気投合しました。タイプデザインコンペティションの表彰式兼セミナーのような集まりでまたお会いして、モリサワの関係者のみの懇親会みたいなものに参加させてもらえることになり、その縁でモリサワの方と面識ができました。

その後、結婚を機に東松島に戻ってきて、家で制作作業をしていたんですが、半年くらいたった頃にモリサワさんからコンペに出した書体を商品化したいという連絡を頂き、契約を交わすことになりました。

モリサワに採用された書体「みちくさ」

―モリサワに採用されるというのは最終目標に近いと思うんですが、そこからキャリアが始まるのはすごいですよね。どんな気分でしたか。

最初は不安の方が大きかったです。僕なんかが本当に出していいのかという感じではありました。キャリアも浅く年齢的にも当時は一番若かったと思うので、プレッシャーの方が大きかったですね。ただ、同世代のタイプデザイナーが一斉に表舞台に出てきたタイミングではあったのかなと思います。

―タイプデザインの仕事はどういう流れで発生するんでしょうか。

企業に勤めている場合はその会社で企画を起こして、その方針にのっとって書体を制作していくという流れになると思います。僕のようなフリーランスの場合はクライアントがいないので、自分で企画を起こして自分で販売するのが一つ。フォントメーカーに提案して販売してもらうという契約もありますね。まれな例ですけど、自分で販売していたものが契約に結び付いて譲渡契約する場合もあると思います。

―会社の方針がない場合は元のコンセプトから考えることになるので、方向性が無限にありますよね。

無限と言われればそうなんですけれども、時代によって求められる書体というのが違ってくるので、時代の流れ、流行を見ることである程度は絞られてきます。ただ書体というのは作り始めてから2年くらいかかるので、3年後に何が求められているかを見ながら制作していく形になります。

―それは…可能なんですか?

難しいです。ただ、これまでの書体の移り変わりを見ていると自然に見えてくるものがあります。最近の流れの代表的なものだと、いままで紙媒体だったのがディスプレー媒体に移り変わるような時期で、例えば明朝(みんちょう)体の横線がどんどん太くなってきています。それにディスプレーの画質、解像度もどんどん上がっているので、鋭利な印象にならないように明朝体の角がどんどん丸くなってきたりだとか、そういうものを見ながら次に何が来るのか、求められているのかなというのは、だいたいですが分かったりしますね。

―なるほど。

書体のフォーマットもどんどん新しくなってきていて、最近だとバリアブルフォントといって、文字の太さが自由に変えられる書体も出てきています。そういう技術的なこと、社会的なこと、文化的なことが絡み合って形作られていくものだと思います。

―自分がこういうものを作りたい、というよりは時代が求めているものに合わせていくような感じなんでしょうか。

僕の場合はそこに少し遊び心を入れるというか、求められているものの要素を取り入れつつ、使う人がちょっと楽しく使えるような書体を目指しています。

取材日:平成3057
聞き手:菊地 正宏、仙台市地域産業支援課
記事:菊地 正宏

 

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阿部 寛史

タイプデザイナー。1986年東松島市生まれ。
東北工業大学工学部デザイン工学科卒業。
デザイナーとして広告制作会社、パッケージデザイナーとしてパッケージデザイン・企画デザインなどを行う制作会社を経てタイプデザイナーとして独立。
活動名Necomaruで書体の企画と販売を行う(2015〜)。
タイポグラフィ年鑑2015入選。
株式会社モリサワより書体「みちくさ」をリリース(2017〜)。
東北工業大学ライフデザイン学部クリエイティブデザイン学科助教(2018〜)。

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