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クリエイターインタビュー|工藤 彩子さん(前編)

印刷機器のレンタルスタジオ「analog」で働く工藤彩子(くどう あやこ)さん。山形県の東北芸術工科大学(芸工大)を卒業後、メディアテーク、森の中のイベントスペース、山小屋と、さまざまなジャンルでの仕事を経験されてきたという工藤さんにお話を伺いました。

―大学ではどんなことを学んでいたのですか。

芸工大の情報デザイン学科で写真や映像の勉強をしていました。被写体をつくりこんで撮るという感じではなく、自然な風景を撮っていました。人を写すときも、メインではなく気配として部分的に写すことが多かったです。

―写真や映像を仕事にしようとは思わなかったのでしょうか。

思わなかったです。まわりは作家とかデザイナーになる人が多かったんですけど、私はそういう気持ちが全くなくて。それよりもそういう人たちを裏で支える側になる方がいいな、と。

―それは大学に入って感じたことですか。

そうですね。自分よりもはるかに、おもしろいもの、すごいものをつくる人がいるって分かって。その時に、こういう人がいるんだったら、裏で並走する感じで役に立てることを仕事にしたいと思いました。

―卒業後はどうされたのですか。

せんだいメディアテークの企画活動支援室で学芸員アシスタントとして3年間働きました。展覧会やワークショップの企画、運営、実施など、いろいろなことに関わっていました。

―印象に残っている仕事はありますか。

10周年事業の展覧会「消費社会と均質化を乗り越えるアートの夢」という企画が印象的でした。1軒のお宅から、生活に使っているものを全て借りてきて展示するという企画です。たとえば、椅子だったら「椅子」、名前が分からないものにもとりあえず名前をつけて、大きさや重さも測って、情報と一緒にモノを吊るして展示するんです。その光景が衝撃的で、「こんなに多くのモノに囲まれて暮らしていたんだ」って。あとは生活品を貸してくれた方の生活感がすごく感じられて。チラシでつくられたブックカバーとか、モノはモノなんだけれど、そこに人が加わることで滲み出る空気みたいなものを感じました。一方で、モノの生々しさとは反対に、上から吊るしちゃうことで本来の機能が失われるので、たとえばペンがペンじゃないものに見えてきたり、今まで機能で見ていたものが、ただの物体として見れたりすることもおもしろかったですね。

―メディアテークで働いた後はどうされたのですか。

メディアテークの仕事を通じて知り合った方が、那須塩原でイベントスペースとカフェを立ち上げる企画のディレクターをされていて。その話を聞いて「おもしろそうだな」と思って、事務局スタッフになりました。そこでは、絵画や写真の展覧会、トークイベントやワークショップ、他にも音楽や食に関するイベントも開催して、ジャンルにとらわれずいろいろなことをしていました。そんなスペースが森の中にあったんです。

―なぜ、森の中に?

人工林って、ある程度人が手を入れないと荒れていくんですよね。昔は、人が適度に木を切って燃料にしたり…っていう、人間にとっても森にとってもいい循環があったんですが、だんだん人が入らなくなって、森が荒れていくっていう問題があって。なので、森に建物をつくって、そこに人が集まることを通して「森と人との関わりを考える」というプロジェクトだったんです。

―工藤さんも企画に参加されていたのですか。

企画に関してはディレクターがいたので、私がイベントをゼロから企画して引っ張るということはなかったですが、アイデアを出したりすることはありました。

立ち上げメンバーには、ディレクターのほかに、デザイナーや建築家、ウェブをつくる人などがいて、プロジェクトの方向性や、建物、ロゴをどうするか話しあったりていました。それらが決まって実際に建物がオープンしてからは、私たち現地スタッフが回していくような感じでした。

―山小屋で働いていたこともあると伺いましたが、そのつながりですか。

直接的なつながりはないです。ただ、那須で山登りを始めたことがきっかけで、山で働いてみたいと思うようになって。那須のイベントスペースで2年働いた後に山小屋へ行きました。

―山小屋に行きたいと思ったきっかけをもう少し詳しく聞かせてください。

那須に行くと決めた時、知人から「山に登った方がいいよ」って言われて。実際に那須に住んでからも、まわりから「登った方がいいよ」って。それで、そんなにいいのかなと思って登ってみたら、すごく気持ちよかったんです。那須の山は、気温が低いことと、火山ということで森林限界が比較的低いらしいんです。なので、そんなに標高が高くなくても、高い山に登ったような景色が見える。背の高い樹木がなくなって、視界が開けて、雲海が見えたり、遠くの山々まで見えたり眺望がすごく良いんですね。最初に登った時に快晴だったことも相まって、登山は気持ちいい、ということを知りました。

そうしたら、もっといろいろな山に行ってみたくなって、調べるうちに山小屋の仕事を発見して。それに、山の上って何もないじゃないですか。便利な環境から離れた所で暮らすことに興味もあったので、山小屋で働けばそれが実現できると思ったんです。

那須の山から

―便利なものから離れるという考えはメディアテークでの経験が影響しているのですか。

それもあります。あとは、震災を経験したことが大きかったと思います。地震で家の中がグチャグチャになって、普段のようにものが使えなくなったり、電気やガスも止まって。でも、ないなりに、石油ストーブで夜ご飯をつくろうとか、冷蔵庫の食料は悪くなりそうなものから食べようとか。当たり前と言えば当たり前なんですけど、そういう小さい工夫で何とかできるんだっていうことがとても新鮮で。お風呂に入れない家も多かったじゃないですか。うちは灯油で沸かすお風呂で、水も出たので入ることができたんです。なので、近所の人にも入ってもらっていました。普段だったらそんなことしないし、そういう時だからこその体験で「お隣さん、こんな人だったんだ」みたいなことを知ったり。震災でいろいろなものが遮断されて、ひっくり返ったことで、すごく基本的なことを自分はあまりにも知らないんだと気が付いて。山小屋は電気もガスも水道もない、自然も厳しい。そういう所で生活をして、いろいろ知りたいと思いました。

―山小屋はどんなところなのですか。

山の上の小さくて質素な宿です。北アルプスの立山連峰にある山小屋だったんですが、そこに住み込みで働くんです。冬は雪で埋もれちゃうので、夏のシーズンしか開いていなくて。その時期だけ働くという感じでした。

春の山小屋

―具体的にはどんな事をしていたのですか。

私がいた山小屋は割と規模が大きくて、スタッフもピーク時は30人ほどいて分業されていました。私はフロント担当で、チェックインの手続きや予約受け付け、問い合わせ対応などをしていました。日本一高い所にある温泉宿でもあったので、昼間は温泉に入りに来るお客さんの対応もしていました。

―山小屋での暮らしはどうでしたか。

楽しかったです。山小屋って特殊なところなので、いろいろな人が集まるんです。休学中の学生とか、仕事を辞めて来た人、旅人、ガイドをやりたくて来ている人。みんな、人が楽しく生活するためにあったらよさそうなことを見つけて、実行するのが上手で。たとえば仲間を集めるとか、単純においしいご飯をつくってみんなで食べるとか、遊びを開発するとか。日常ではどうしても自分の生活するコミュニティにいる人としか接しなくなりますが、普段の生活では出会わないタイプの人たちに出会うことができて、山小屋に行ってよかったと思いました。

山小屋から望む朝日

―仕事が休みの日はどう過ごしていたのですか。

山を下りて街へ出かけることもありました。あとは山に登ったり。山登りって、自分が持てる分の荷物しか持てないじゃないですか。必要なものを背負って、自分の足で歩いていくっておもしろいと思うんです。あれもこれもと持っていきたいものをザックに詰めて担げたとしても、それでは歩くのが大変になって、遠くまで行けなくなる。遠くに行くためには、ものを減らしたり荷物を軽くしなきゃいけなくて。それは我慢をすることじゃなく、ものに頼らない姿勢や、あるものでやりくりするスキルを身に付けることなんだと思うと、自分は最低限の荷物でどこまで行けるんだろうって思えて楽しくて。それは日々の中にも通じるところがあるなと思います。

立山三山から望む剣岳

取材日:平成29年11月10日
聞き手:SC3事務局(仙台市産業振興課)
構成:岡沼 美樹恵

 

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工藤 彩子

秋田県生まれ、仙台市育ち。
東北芸術工科大学を卒業後、文化施設やイベントスペース、山小屋などで働く。
現在はDIY印刷加工レンタルスタジオ「analog」で働きながら、個人でweb制作を行っている。

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