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クリエイターインタビュー|齋藤 和哉さん(前編)

生まれ育った仙台で建築家として活躍する齋藤和哉さん。建築の道を志し歩き続ける原動力となった2つの出会い、仙台で建築の仕事をする意義などについて伺いました。

―まずは建築家として働き始めるまでの経緯について伺いたいんですが、建築家になりたいと考えるようになったのは、いつ頃からなんでしょう?

大学4年の6月くらいですね。当時、就職活動は3年生の年末くらいからスタートできたんですが、建築家になりたいと思い始めたとき、すでに他に内定をいただいている会社がありました。

―内定を辞退してまで建築家を目指したくなるような、強烈な経験があったわけですね。

そうなんです。そもそものきっかけは、3年生のときに取り組んだ設計課題でした。たまたま担当教官になったのが、その後卒業後にまでお世話になる阿部仁史さんですが、線1本あるかないかで大きく変化する阿部さんのスケッチがもうとにかく衝撃で。その時点で建築家を目指そうと思ったわけではないんですが、すごく刺激されて、最終講評に残る作品をつくるくらいに真剣に取り組めたんです。で、なんとなく面白そうだなという思いから、4年生のときに阿部さんの研究室に入ることにしたんです。

―なるほど。

その年、ちょうどヴェネツィア・ビエンナーレがあり、阿部さんが招待されていたので、設営など現地作業の手伝いのために研究室のメンバーで1ヶ月間ヴェネツィアに行ったんです。当たり前ですが、著名な建築家がすぐに話しかけられるような距離にたくさんいて、僕らみたいな手伝いの学生もたくさんいて。お互い作業をしている時間の方が多いんですが、パーティーのような集まる機会も結構あって、いろいろ話をしたりしているうちに一気にスイッチが入りまして。

―建築家になるんだ、というスイッチが。

ええ。それで、戻ってきてから内定をいただいていた会社の本社に伺って辞退をするっていう。まあ、相当怒られましたよね。

―でしょうね。

もちろん自分で選んだ会社ではあったんですが、「どうしてもここで働きたい」と考えての選択ではなかったし、建築家になると決めて辞退をしたときに、ようやく自分で決断したという実感がわいたくらいだったので、この選択にはもちろん後悔はしていませんけどね。

―その後、大学院に進んで阿部さんの研究室で建築を学んでいくわけですね。

はい。阿部さんの研究室に入ると、阿部さんの設計事務所の仕事を手伝うことができる期間があって。大体1年間くらいですかね。講義の後に事務所に行って、所員についていろいろ手伝いをするわけです。ときには施主さんとの打ち合わせに出させてもらったりもしましたね。

―それは勉強になったでしょうね。

スケジュールの組み方や、懸案事項リストをつくって1つずつ潰していくことなど、徹底的に実務を叩き込んでもらいました。そのときの経験は、建築家として仕事をするための基礎として、今もしっかりと私の中に残っています。

―その後、社会人としても阿部さんの事務所で働かれていますね。

大学院修了のタイミングで、ちょうど所員の方が1人辞められて、入りたいと言って入れてもらいました。

―学生時代の経験のおかげで、順調にスタートを切れたんでしょうか?

それが、実際に働き始めると建築の学問的な知識があまり身についていないことが少しずつ明らかになってきて。業務はこなせても、アイデアが浮かばないという厳しい状況がしばらく続きました。アイデアが浮かばないから、悶々としながら事務所にいる時間ばかり長くなってしまい、建築がおもしろくないと感じてしまうくらいまで追い込まれてしまって。で、悪いことは重なるもので、事務所の規模縮小の動きがそのタイミングであって、他の若手2人とともにクビになってしまったんです。働き始めて1年半頃のことですかね。

―他の仕事に就くとうい選択肢もあったと思いますが。

そうしなかったのは、やっぱり建築が好きだからでしょうし、またいいタイミングで新たな出会いもありまして。そのときすでに阿部さんは東北工大を辞められていて、後任として槻橋修さんという方が教鞭を執られていました。大学で教えながら住宅などの設計もされていて、図面を描ける人を探しているという話がたまたま耳に入ったので、連絡をしてみたんです。槻橋さんは、ずっと大学の中にいた人なので、学問としての建築にはとても詳しいんですが、当時は実務経験があまりなくて得意じゃなかったんです。

―実務に関しては、齋藤さんの方が得意だったということですか。

変な話ですが、そうなりますよね。で、働かせてもらうことになり、阿部さんの事務所とは真逆の生活が始まるわけです。

―学問としての建築にどっぷり浸かることになったと。

建築の本を読んでは「この人のこの作品はここがいいよね」みたいな話をして、合間にちょこちょこ図面を描く、みたいな生活でした。時間的な余裕もあったので、建築士の勉強をして1年で1級建築士をとって、僕が管理建築士になって一緒に事務所をやっていた期間もありました。槻橋さんのところでは、トータルで5年くらい働きましたね。

―5年かけて、学問としての建築を学んだわけですね。

はい。それと、槻橋さんはアートや音楽、哲学なども大好きな方で、そういったさまざまなジャンルのことを建築にフィードバックするのが得意なんです。その影響で、アートや哲学にも時間をかけて接することができ、それらを建築に活かすというやり方も身につけることができました。

取材日:平成30年11月20日
聞き手:仙台市地域産業支援課、工藤 拓也
構成:工藤 拓也

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齋藤和哉

建築家
株式会社齋藤和哉建築設計事務所 代表取締役
東北工業大学・宮城学院女子大学 非常勤講師

1979 宮城県仙台市 生まれ
2003 東北工業大学大学院工学研究科建築学専攻 修了
2003-04 阿部アトリエ 勤務
2004-09 ティーハウス建築設計事務所 勤務
2010 齋藤和哉建築設計事務所 設立

2015 平成27年度日事連建築賞 奨励賞 「八木山のハウス」
2017 金蛇水神社参拝者休憩所 リノベーション設計競技 最優秀賞
2018 第11JIA東北住宅大賞2017 優秀賞 「八木山のハウス」
2019 加美町中新田公民館設計プロポーザル 最優秀者(ティーハウス建築設計事務所と共同)

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