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クリエイターインタビュー|小野 健さん(前編)

株式会社ASAのプロデューサーである小野建さん。専門学校を卒業後、東京でシステムエンジニアとして働き、2011年に地元仙台に戻ってきました。仙台に戻ってきてから初めてデザイナーとの協働を経験したというIT畑の小野さんにお話を伺いました。

―小野さんは仙台出身でいらっしゃるんですか。

 親が転勤族だったので、青森、仙台、秋田、気仙沼、仙台…と、小さい頃はいろいろな場所に住みました。僕が小学校6年生のときに親が仙台で家を建てて、そこからは仙台なんです。なので、遺伝子的には秋田なんですけれど、人に聞かれたら、出身は宮城県というふうにしています。あまり自覚はないですけれど。

―中学校、高校は仙台だったんですね。高校はどちらだったのですか。

 広高ですね。宮城広瀬高校。

―その頃から、ITやコンピューターに興味を持たれていたのですか。

 全くなかったです。そのときは、バスケとかバンドとかそんなことばっかり考えてました。特別やりたいことがなかったので、「ITが来るぞ」みたいな漠然とした発想で、高校卒業後は東北電子計算機専門学校の情報工学科に入ってプログラムを学んだという感じですね。

―「ITが来る」という感覚は、誰かの影響だったのですか。

 何となく、世の中的にそうなるかな…って感じたんです。僕は今39歳なんですけれど、ちょうどポケベルからPHSに、PHSから携帯に…とか、そこら辺の流れだったんですね。駅の改札とかも、高校のときは手で切符を渡していましたからね。

―高校生で「ITが来る」と考えるのがすごいですね。

 あんまりよく考えてなかったですよ。「とりあえず決めないと」と思って。ITも難しそうだなとか、そういうことも余り考えずに決めました。

―実際に専門学校でITの勉強をしてみて、いかがでしたか。

 とにかく計算するんだな、と思いました。プログラムって、計算寄りの考えをずっとしないといけないんだなと。

―それは例えば、どういうものなのですか。

 例えば、給料計算のプログラムだとすると、給与は幾らだから税金はこうで…とか、何事にも計算が入ってくる。

そしてそれをプログラム上はAの001にしようとかいう、「デファイン」つまり、定義をするんですね。プログラムって、全部英語と数字なんですよ。

―高校生のときは数学が得意だったのですか?

 全然です(笑)。

―それでも専門学校に入ってからすぐになじめましたか?

 これは僕の個性なんだと思うんですけど、あんまり苦手とか考えないタイプなんですよね。だからプログラムのテストとかでも、成功すれば「あ、できた、できた」みたいな。できるようになったかどうかぐらいしか考えてなかったから、余り苦手意識はなかったですよね。

―できる喜びのほうが大きかった?

 そうですね。それこそさっきの計算のプログラムとかも、1入れて5足すと「あ、6が出た」と。そこから徐々にプログラムの考え方とかが積み重なっていった感じです。

―専門学校で勉強されてるときから、仕事もIT系に行きたいと考えてたんですか。

 はい。

―具体的にITの中でもどういうことをしようというふうに考えてたんですか。

考えてないです(笑)。行けるところに行って、できることをやろうみたいな。

―それだと、就職活動もいろんなところを受けたのですか。

 そこは、多分1社だったと思います。CAC情報サービスという会社で、そのCACっていう割と大きなシステム会社の子会社に入りました。

―そこではどういうお仕事をされていたのですか。

今その言葉があるかわかんないのですけれど、「特別派遣」といって、例えばある会社がシステムを依頼したいとなったら、親会社のシステム会社に発注するんですね。当時はセキュリティーの関係で出向になるのですが、親会社であるシステム会社の内のリソースも限られているので、人手が足りないとかというときに、僕のいた会社に来るみたいな。

―では、小野さんも各企業に派遣されていたのですか。

 はい。なので、まずクライアントと面接して、僕が「こういうことができます」というと、「じゃあ明日からお願いします」という感じで。

―クライアントに籍を置きながら、システムをつくる仕事をされていたのですか。

 はい。東京で10年間システムエンジニアをやったんですけれども、毎回派遣されるクライアントが違うので、もう転々としていましたね。中目黒で3カ月とか、海浜幕張2年で西新宿2年…とか。

―お給料はよかったですか。

 うちの会社はちゃんと出てました。こういう仕事をしてると、派遣されてる人たちの集まりみたいなのがあって、「最近どう?」みたいな話をするんです。印象的だったのが「うち倒産しちゃってさ…」とか「残業費が出なかった」とかも聞きました。いろんな会社があった中で、うちはちゃんと出てましたね。それこそ、残業が230時間とかって時代だったし、1カ月家に帰れないとかもありました。なので、使う暇がまったくないですけどね(笑)。朝から晩までずっとカタカタやってる。

―SEさんはすごく大変なお仕事をいうイメージがありましたが、実際そうなんですね。

 当時、省エネのはしりで、夏とか冬とか18時とかなるとバツンとエアコンが切れるんですよ。冬場はダウンジャケット着ながら仕事してました。室内で。「寒っ!」って言いながら(笑)。

―セキュリティーの関係上、家に持って帰るわけにもいかないですもんね。

 いかないです。夏場はTシャツと短パンを持っていって、18時以降は着替えて。「暑いなぁ」、という時代でしたね。

―すごく過酷な印象を受けるのですが、ご自身はおもしろいと思いながら続けていたのですか。

 全く苦にはならなかったですね。本当に、専門学校時代の延長で、バーッとやって、「あ、できた、できた」と。

取材日:平成30年12月20日
聞き手:仙台市地域産業支援課、岡沼 美樹恵
構成:岡沼 美樹恵

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小野健

秋田県北秋田市鷹巣町出身、仙台市在住。
株式会社ASA DIGITAL開発ソリューション部門

[経歴]

東北電子計算機専門学校でプログラミングを学び、東京でプログラマー/システムエンジニアを10年経験。その後、宮城県にUターン転職。

2012年dmp入社。
2016年10月にASA DIGITALに社名変更。

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