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クリエイターインタビュー|関本 欣哉さん(前編)

仙台市大手町のギャラリー「ターンアラウンド」のオーナー、関本欣哉(せきもと きんや)さん。「仙台藝術舎/creek」や「せんだい21アンデパンダン展」など、アートにまつわる場づくりに精力的に取り組む関本さんにお話を伺いました。

-アートを学ぼうと思ったきっかけは何でしたか。

父が建築・設計、母が美術をずっとやっている家庭でした。自分も高校生の時に、なんとなく家業を継がなきゃいけないのかなと思って建築学科を受けようとしたこともありましたが、勉強よりも遊ぶのが大好きで、現役時代も1浪しても遊んでいました(笑)。自分が好きじゃないことを勉強してもなぁ…と、1浪から2浪目にかけて本当に何がしたいか考えたときに、アートなんじゃないかと思ったんです。

当時、音楽の表現活動を少しやっていたんですが、それは生活の中での憤りとか、権力に対して嫌だなと思うことを表現するというのがきっかけでした。特定のジャンルをやりたいという気持ちではなく、自分が表現したいことが中心にあったので、音楽とか身体表現とか絵とか、何か一つの手段を専門にするよりも、それら全てを含んでくれる「アート」について学ぶ方が自分の興味に合っているのかなって思ったんです。

その憤りとはどんなものでしたか。

子どもの頃って、考えが浅いなりに純粋じゃないですか。隣の人が悪いことしているのに、先生に怒られるのはなんでいつも自分なんだろう、みたいな身近なものもそうですし。なんでこんな社会情勢になったとか、なんで戦争するのとか、大人とか社会に対して理不尽だなといつも感じていたんです。

-東京芸術専門学校(以下、TSA)に入る経緯を教えてください。

いわゆる美大を目指す子はほとんどみんな高校に入学するくらいからデッサンの勉強をしているので、2浪目から東京のアートの予備校に通い始めた僕が半年や1年そこらで美大に受かるわけないし、3浪も精神的にきついなと思ったんですね。あとは、ジャンルを縛りたくないのに絵画とか専門を決めて入学しなきゃいけないのもその時は嫌で。

TSAは「もの派」と言われている人たちの先生だった斎藤義重先生たちが中心となって、もっと自由な発想をもとにアートをやりたいという目的でつくった学校なんです。どこの専門学校に行こうか悩んでいたときに、斎藤先生のことが好きな母から「学校に遊びに行ったら斎藤先生に会えるかも。ここにしたら」と言われたこともあり(笑)、TSAに決めました。専門学校は仙台にもあったけど、東京に残りたかったのでこの学校にしたっていうぐらいなんですけれど、結果としてはすごくよかったです。

TSA入学のきっかけを振り返る関本さん

TSAではどういうことを学んだのでしょうか。

アカデミックなことではなく、どちらかというとコンセプチュアルなことでした。技術的なことも聞けば教えてくれるんですけど、「なぜ表現をしなくちゃいけないのか」とか、「なぜ君はそれを制作する必要があるのか」みたいなことを常に考えさせる学校でした。そこが僕にとってはすごくよかったですね。講師も、教員というよりは斎藤先生を慕って、いろんな大学から来てくれる先生や現役のアーティストが教えてくれていました。現場でつくっている人が多かったので、今、どういうことがアートの中心で行われているのかを教えてくれる授業が多かったです。

先生たちも普段学校などで教えているよりも自由に好きなことを教えられるので、楽しんでいるという感じでした。

授業はアートとデザインの2つに分かれていましたが、アートの中で彫刻や絵画といったジャンル分けはありませんでした。とにかく「自分にとって必要なことを表現しろ」というもので、それについて評価する授業でした。自分で本当にやりたいことがある人は、すぐにつくれるのでいい環境でしたが、漠然と「何かを学びたい」と待っている人は放置されるので、何をやったらいいか分からないまま時が過ぎて来なくなる…という人は多かったかもしれないです。

-関本さんはどういった制作をしていましたか。

最初の半年くらいは平面の作品を中心に描いていたんですけど、先輩や先生たちの制作に影響されて、インスタレーション、空間全体をひとつの作品とするものをつくり始めました。先生たちも社会問題をテーマに表現をする方が多く、自分の問題の視野を広げればそういうことに行きつき、表現とはそういうものなんだと思えたので、自分も社会問題を扱う作品をつくるようになりました。

-卒業後も制作を続けていましたか。

東京は家賃が高いので、短期で収入のいいアルバイトをしながら制作を続けていたのですが、半年くらいで身体を壊しちゃったんです。それで、1年経たないくらいで実家のある仙台に戻ってきて、父の設計事務所で10年ぐらい働きながら制作を続けました。

-「ターンアラウンドの設立までの経緯を教えてください。

最初は、場所を持たないアーティスト集団という意味合いで2008年につくったんです。個人でやっていると、打ち合わせも全部自分が行かなくちゃいけないし、マンパワー的にも限りがあるし、企業とやり取りする上でも個人だと甘くみられるようなこともあるんです。団体をつくれば、そういう問題をクリアできるかなと思って。メンバーは3~4人ほどでしたが、ワークショップやイベントをやったりしていました。

今のギャラリーは、父の会社を2010年の4月に辞めた後、同じ年の10月にできました。

大手町の住宅街にある「ターンアラウンド」
白一色のギャラリー内を作品が彩る(写真は「青野文昭展」)

-ターンアラウンドは最初からギャラリーにカフェ(「ハングアラウンド」)を併設する形でしたか。

そうですね。僕がやりたいことは大きく3つあって。発表できる場所と、交流ができる場所、もう1つは学ぶ・制作する場所の3つなんです。どれが最初でもよかったんですけど、学ぶ場所をつくるとなると、先生を誰にお願いするか、生徒をどうやって集めるかなどハードルが高いので、まずは発表をする場所としてギャラリーをつくろうと。そして、その横に交流できる場所としてカフェがあったらいいかな、という流れでした。

ギャラリーの隣にあるカフェ「ハングアラウンド」

-制作が中心だった関本さんが、そういった場所の運営側にまわろうと思ったきっかけは何ですか。

力のあるアーティストさんって、本当に常に作品のことを考えているんですよ。その方たちと比べると、作品に対する時間や情熱のかけ方が今の自分には少し足りないと思っていて。ただ、それを発表する場所をつくるとか、この人に展覧会をやって欲しいという思いや、どういう展覧会をやったらいいかみたいなことを考えることには、同じぐらいのエネルギーをかけられることに気がついて、もしかしたら自分はそっちの方が向いているんじゃないかと思ったんです。それで父の会社を辞めるときに、他のところで働きながらアーティスト活動をするよりは、場所をつくろうって決めたんです。

2012年から始めた「せんだい21アンデパンダン展の運営も、発表の場をつくる一環だったんですね。

そうですね。僕は、TSAに行って救われたんですよ。美大に受かるスキルも知識もないけど、とりあえず拾ってくれて、何を表現したいのか生徒としてというよりは一個人として話を聞いてくれて、技術があるかないかじゃなく、アートを通して対話してくれた。その経験が自分の中にずっと残っていて。アンデパンダン展は無審査で誰でも参加できるので、そういう発表の場をつくりたいなと思っていたんです。

理由はもう1つあります。ターンアラウンドのギャラリーができた半年後に震災があったんですけど、当時私の甥っ子は小学生で、反原発のデモとか、震災後のいろんな社会の動きがあるのを生で見ている。デモとかを身近に見てなかった僕らの世代とはまたちょっと違って、社会に何かアクションを起こしてもいいんだって感じている世代なのかなと思ったんです。そういう子どもたちが社会に何かアクションを起こしたくなったときに、美大に行ったり、何か学んだりしてないと表現ができないような状況だと動きづらいですよね。なので、最低でも10年くらいはアンデパンダン展のような場をつくっておきたいです。

-アンデパンダン展は、5つの会場が連携しているということですが、各会場のみなさんもそういった思いが共通しているのですか。

僕ほど社会的にどうのこうの、というのはなくても、民間のギャラリーってどこも本当に経営的にも精神的にも大変だけどがんばっているんです。作品を発表することって、アーティストももちろんですが、ギャラリー側にもリスクがあるんですよ。例えば、反原発のことを表現したら、責任を取らされることもあるかもしれない。場所を持っている人は、そこにいるから逃げられないじゃないですか。そこをある程度許容して、資金に余裕もない中でがんばってやっている、熱意ですよね。宮城県美術館とかメディアテークとかの公共のギャラリーで一斉にやることもできないことはないですけど、こうやってがんばっている民間の人たち同士で盛り上げていった方が、このまち自体も盛り上がるんじゃないかなと思っていて。今はそういう方たちと一緒にやってみたという感じですね。

取材日:平成30年29
聞き手:SC3事務局(仙台市産業振興課)
構成:岡沼 美樹恵

 

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関本 欣哉

1975年宮城県仙台市生まれ。東京芸術専門学校(TSA)卒。90年代後半よりアート作品の制作、発表をはじめる。2010年より社会に繋がる表現の場として「Gallery TURNAROUND」を設立。2016年に美術学校「仙台藝術舎/creek」を開校。建築デザインの仕事も手がけている。

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