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クリエイターインタビュー前編|高橋 光子(ライター・クリエイティブディレクター/株式会社Type-O代表取締役)

後悔しないで生きていきたいと、真面目に思っています。

コピーライティングや取材・記事作成、編集、デザインを軸に、さまざまな広報物を手がける株式会社Type-O代表の高橋光子さん。“「できるかできないか」より「やるかやらないか」”というモットーを掲げ、ものづくりに向き合う姿には、自分自身への厳しさや覚悟が滲む。その真摯さの根にせまるべく、仕事の原点、経営者としての思いについて伺った。

 

―はじめに、現在のお仕事の内容を教えていただけますか?

ライターとして文章を単体で請け負うこともありますが、今は企画段階から納品まで、総合的に制作に関わることが多いですね。企業からパンフレットやホームページなどの作成依頼をいただいて、Web会社やカメラマン、デザイナーの方の手配を含めて全般をお引き受けすることもありますし、広告コンペなどの企画書の作成や広報戦略を担うこともあります。

―現職に至るまでに、どんな歩みを経てきたのかお聞きしたいです。

もともとは法学部出身で、弁護士を目指していたんです。でも、社会経験がないままに弁護士になることに不安を感じ、まずは就職しようと思って。その上でやっぱり法曹界に入りたいという気持ちがあれば、そのときはロースクールに行こうという考えでしたね。それから、マスコミや広告に興味を持って就活を始め、縁があって仙台の代理店に入社したんです。とはいえ、1年目から文章に携われたわけではなく、最初は営業。2年目から企画部門に移り、媒体の編集やライターの仕事を担うようになりました。そして、4年目のときに東日本大震災が起こって。人生を考え直すタイミングでしたね。結局弁護士ではなく、培ってきた力を自分なりに生かしたいと、独立を決めたんです。

―大きな決断だったとも思うのですが、不安はなかったのですか?

経済や広告・企画を勉強してきたわけでもなかったので、気持ちの9割は不安でしたよ(笑)。でも、ライターしかできないし、それで勝負してみたいと思っていました。

―はじめから、フリーランスではなく会社の経営を考えていたのでしょうか?

自分ひとりでやるよりも、デザイナーと一緒のほうがつくれるものは多いだろうと。それで、知人の女性デザイナーに話をしたら、「いいですよ」と言ってくれたので、社員として入ってもらうことになったんです。あとは、公的な仕事や規模の大きな仕事も引き受けたかったので、機会を得ていくために株式会社という組織のかたちをとりました。

―会社の創立当時は、どのように仕事を得ていかれたのですか?

広告代理店や制作会社に、片っ端から営業の電話をしました。110件と目標を決めて、「新しく会社を立ち上げたので、あいさつに行かせてください」とお話しして。自分の貯金のほぼ全額を資本金にしたので、お金も本当になかったです。「じゃあ試しにこれやってみる?」と仕事をいただけたときは、「これが失敗したらもう絶対に仕事は来ない」という思いで、一つひとつに精一杯取り組みましたね。そうしているうちに、「これもお願い」とお声がけいただくことが増えていきました。

―企画書の作成は前職でもされていたのですか?

全然やったことがなかったんですよ。でも独立するときに、業界の先輩から「今からはライター業だけでは生きていけない。企画書をつくれるようになりなさい」とアドバイスをいただいて。当初は「いや、私ライターだし!」と思っていたのですが、状況を見据えていく中で、次第に意識が変わっていきましたね。経験のない自分にできるのかと迷いもあったけれど、周りのいろんな会社さんがチャンスをくださって、とにかく「できます!」とどんどん引き受けて。毎週12本ずつ書くようなときもあり、だいぶ鍛えられたと思います。

手がけてきた学校案内や情報誌。企画提案から取材、誌面制作など幅広く担当されている。

―険しい道を歩んでこられたのだと感じました。

でも、結局は自分のためじゃないですか。苦手だから、やったことがないからと言っていられない。もう経営者の立場になっていたし、社員を路頭に迷わせるわけにいかないという責任はすごく感じていましたね。自分ひとりではないから、なんとか早く軌道に乗せなければと。一方で、女性ふたりの会社なので、「よく続いているね」と言われることもあります(笑)。

―経営者として、ともに働くパートナーであり、社員でもあるデザイナーさんと一緒に取り組むことに、どのようなよさを感じていますか?

すごく面倒くさいこともいっぱいあるんですよ。やっぱり人間だから、考え方の違いもあるし、お互いに「一言多いよ」と思うこともある。ふたりでいると、だんだん家族のようにもなってくるので、「今日は機嫌が悪いな」というのもわかりますし。でも、だからこそ教えてもらえることがいっぱいあって。「そういうふうに言われたらそう感じるよね」「私はそうは思わないけど、違う考えの人もいるよね」と、学ぶことがすごく多いんですよね。やっぱり、傲慢な人間にならないようにしたい。だから、鏡のような存在としていてくれると助かるなと思います。相手を通して私も自分自身を見るというか。

―お仕事の姿勢に、高橋さんの真摯さが表れているように思います。いつも心がけていることがあれば、お聞かせいただきたいです。

中学3年生のときに父親が病気で倒れて、生きるか死ぬかという時期があったんです。その頃ぐらいから、後悔しないで生きていきたいという思いがすごくあって。たとえば道にゴミが落ちていたら、見過ごさずに拾うとか。お世話になった方に「ありがとうございました」ときちんと伝えるとか。そういう小さなことも含めて、後悔したくない。震災のときもそれは強く思ったんですよね。だからこそ、会社の立ち上げを決めることができたというのもあります。一つひとつの仕事で、そのときにできることをできるかぎりしたい。明日死ぬとなったとしても、今日まで本当に精一杯やったという生き方をしたいと、真面目に思っています。

取材日:令和元年10月23日
取材・構成:鈴木 瑠理子
撮影:はま田 あつ美

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高橋光子

昭和末期生まれ、仙台市在住。法学部法律学科(憲法ゼミ)卒業。新卒で広告代理店に勤め、営業職と企画職を経験。2012年、広告制作会社「株式会社Type-O」を設立。取材、編集、企画、ディレクション、簡単なテーブルコーディネートなど、守備範囲は広め。旅好き、猫好き、料理好き。社会の、誰かの役に立てることはもっと好き。

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