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クリエイターインタビュー|次松 大助さん(前編)

2014年に活動を再開したスカバンド「THE MICETEETH」のボーカリストであると同時に、キーボーディストとして他アーティストのサポートや、CM・映像作品への楽曲提供等、幅広くご活躍されている次松大助(つぎまつ たいすけ)さん。仙台が大好きだという次松さんに、ミュージシャンとしての道を選んだ経緯や仙台のどんなところが好きかお話を伺いました。

―現在までの経歴、職歴などを教えてください。

出身は大阪です。小さいころからピアノを習っていたんですけど、全然練習していかなかったタイプで、だらだら中2ぐらいまで続けていました。その後、中2の終わりぐらいに転校したんです。その地域の高校の事情とかが全然わからなかったけど、大阪で好きな川があったので、その川の名前がついてる高校に進学しました。その川に対していいイメージしかなかったから、きっといい高校に違いないと思って。

─ちなみに何という川ですか。

大和川です。何かね、日本一汚い河川らしいんですよ、不名誉なことに(笑)。中学校のころは結構まじめに勉強していたので、うっかり一番いい成績で高校に進学したんですが、その結果、高校に入ってからはまったく勉強しなくなりましてね。高2の終わりぐらいになって、その後の進路はどうしようというときに、もう一回勉強するのもしんどいなあと思って。習うのをやめてからもピアノは好きで1人で弾いていたから、音楽学校に行こうと決めました。特に、ピアノのクラシックが好きだったので、クラシックの作曲専攻に行こうと思って、大阪芸大の音楽学科作曲専攻を選びました。

―芸大に行く際に、プレイヤーではなく作曲家になろうと思ったのはどういう心境だったのでしょうか。

得手不得手だと思うんですけど、小さいころ習ってたのに練習をしなかったもんだから、あんまり楽譜を読むのが早くなかったんです。だから、聴いた曲を自分なりに弾いたり、作曲したりっていうのを1人でずっとやってたんですよ。その中で、作曲するほうがおもしろそうだし、自分に向いてそうだし、クラシックのピアニストってある程度までいくとアスリートっぽいことになるから、それはちょっと違うかな、と感じていたので。

―次松さんといえば、スカバンド「THE MICETEETH」というイメージがありますが、元々はクラシックを専攻されていたんですね。

そうなんですよ。当時作曲を師事していたのが、音楽学科で一番偉い音楽学科長だったんです。その人、今でこそ音楽学科長なんですけども、「僕はね、40過ぎまでラーメン屋でバイトしてたよ」とか言うんです。そのくらい、クラシックといわれるような作曲って難しいし、お金になりにくいものだったんですよね。でも、1920歳の学生にとっては、40過ぎまでラーメン屋でバイトするっていうのは結構、覚悟が必要なわけじゃないですか(笑)。ああ、だったら…と思って、今もやっている「THE MICETEETH」っていう割と大所帯のバンドをやり始めました。僕は主に曲づくりをしながらボーカルだけをやってましたね。在学中にも全国から呼んでいただけるようになったりして、食べていけるほどではないにせよ、そこそこお金も何とかなるようにもなって。それで、ストイックな“40までラーメン屋でバイトするクラシックの道”よりも、もう少し日の射すほうに…となった感じですかね。「THE MICETHEETH」は2009年に一回解散するんですけど、そこからはソロで演奏を始めて、ちょっとずつ映像関係やウエブCMとかの音楽もやるようになりました。バンドを解散して、好きなところに住めるぞってなったときに、じゃあ引っ越そうかなと思い、2010年に仙台に来ました。

─「THE MICETEETH」で食べていけると思ったのは、在学中からですか。卒業してからほかの仕事はしなかったのでしょうか。

バンドをやりながらバイトもしてましたね。それに、食べていけるとは思ってなかったです。バンドの人数が8人くらいいて、ギャラはみんなで割っていましたから。僕、2回結婚してるんですけど、1回目の結婚で子どもが産まれるってなったときに、出産に立ち会いたいなと思って、そのためにバイトをやめました。やめてしまえばもう無理矢理にでも音楽でどうにかするしかないっていう気持ちを固めたというか。それが27歳のときでした。

─「THE MICETEETH」はメンバーの入れかえもありましたよね。

そうですね、入れかわりとかもありましたね。あと、僕1人、バンド内で子どもがいるということで、バンドの集まりの時間の使い方がちょっと他のメンバーとは合わなくなってきて、それで結局解散した感じですね。

─お子さんが産まれてから、ご自身の音楽に変化はありましたか。

お金が必要だから、本来ならば「売れたい」って思うところだと思うんです。でも、何か逆に、子どもが大きくなってから聴いても、売れていなくても本当にいい音楽を残していきたいと思うようになりましたね。子どもが成長してから聴いても恥ずかしくないものにしておきたいなって。

2014年のバンド再結成までの4年を、仙台でソロ活動していたのですか。

はい。そのときは、1人で演奏しにあちこち行ったり、ちょうどソロになった頃に「手とてとテ」(*)の映像関連の仕事をもらいました。何かひとつやると、それを見た人がまた呼んでくださって…っていうふうに、ちょっとずつですけど増えてきましたね。

 *仙台・宮城の伝統工芸品の魅力と楽しみ方を今に伝えるウェブサイト(「手とてとテ」のウェブサイトはこちら

―「手とてとテ」で使用された「too happy to sleep」を聴くと、お子さんがきっかけで音楽に対する気持ちが変わったことがわかる気がします。

それはうれしいです。

「too happy to sleep」(「手とてとテ」のこけし紹介ページに提供)

─曲のつくり方は、バンドのころとソロになってからとで違うものでしょうか。

違いますね。バンドのほうは管楽器が入ったりとか、ジャンル的に縛りがあって、裏打ちが入ったりとか、それに合うような曲をつくるんですね。もともとソロを始めたのは、作曲していく中でスカのフォーマットに合わない曲が増えていって、それをやる場が欲しかったというのもあります。

─クライアントワークをやるうえで、自分の作りたい音楽との違いでもやもやを抱えたりすることはないですか。

僕が、音楽の中でも何でもつくる人ではなくて、大体どういう音楽をつくる、ある程度色づけされてるっていうのを何となく知っていただいた上でお仕事のお話がくるので、結構ストレスなくできていますね。僕的にはこうがいいと思うんですけど…っていうのを3つぐらい作っていって、その中から方向性を選んでもらっている感じです。それはすごくラッキーなことだなと思いますね。

─待っていたファンもたくさんいると思いますが、2014年に再結成をしたきっかけは何だったのですか。

解散してるのに、ライブのオファーが2カ月続けてあったんですね。割とお世話になってる方たちからだったので、「どうする?」って話になって。何か解散詐欺みたいになっても嫌だったので、ライブを受けるなら再結成しましょうという話になりました。

─「THE MICETEETH」を始めた頃と違い、今はSNSで双方向のやり取りができるようになりましたが、以前と今とではファンとの関係に変化はありましたか。

ありますね。逆に気が楽ですね、お互いに。ミュージシャンの中には、距離が保てなくて嫌だという人もいるかもしれないですけど、SNSがなかったら雑誌のインタビューとかで知るだけだったのが、もう少し人柄を知ってもらうきっかけになると思うんですよね。

─5年ぶりの新譜を5月にリリースしましたね。

よくもまあそんなに出さなかったなと思うんですけど、こっちで知り合ったミュージシャンとかも参加してくれたりして。だから楽しかったですね。「真夏の雪」というやつが映像になってますので、見てください。

新作ソロアルバム『喜劇“鴉片”』からMV「真夏の雪」

取材日:平成30年7月25日
聞き手:仙台市地域産業支援課、岡沼 美樹恵
構成:岡沼 美樹恵

前編 > 後編

次松 大助

2014年に活動を再開したTHE MICETEETH(ザ・マイスティース)のボーカル。
フジロック、サマーソニック等、多くのフェスティバルへも出演し、ソロとしては主にピアノ弾き語りでの活動の他、管弦打楽器を巧みにアレンジした1stソロアルバム「Animation for oink,oink!」や、ミニアルバム「Ballade for Night Zoo」をリリース。

また、ピアニスト、キーボーディストとして他アーティストのライブやレコーディングサポート、アレンジやプロデュースなどを行うかたわら、CMや映像作品への楽曲提供など、多数の制作をおこなっている。

2018516日全11曲入りのニューアルバム「喜劇“鴉片”(シーヂィヤーピィエン)」をリリース。

2010年より宮城県に在住。

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