仙台クリエイティブ・クラスター・コンソーシアム

features

クリエイターインタビュー|濱田 直樹さん(前編)

時に家業を手伝い、時に公的機関に勤めながら、音楽を軸にさまざまな仕事をされてきた濱田直樹(はまだ なおき)さん。仕事に対する考え方や、東日本大震災をきっかけに起こった変化、仙台での暮らしなどについてお話を伺いました。

―まずは、お仕事のキャリアについて教えてください。

2000年〜2012年くらいまでは、実家の小売業を手伝いながら音楽イベントの企画運営をしたり、いくつかの音楽レーベルを手伝ったりしていました。

―ご実家も音楽関係のお仕事をされているんですか。

いえ、実家の仕事は音楽とはまったく関係ありません。長男だし、音楽ですぐに食べていけるとも思っていなかったこともあって、手伝っていました。

―家業をお手伝いしなくなったのはなぜですか?

震災で、地元というか地域を問われた感覚があって。以前から手伝っていた音楽レーベル「松竹梅レコ—ズ」で「うぶこえプロジェクト」という活動を本格的に動かすために家業から抜けました。

―プロジェクトが立ち上がったきっかけを教えてください。

震災のときに、仙台在住の音楽アーティストであるGAGLEが『うぶこえ』という曲をリリースしたことがきっかけです。

現代の音楽ってリリースされると、一時的にはよく聴かれても数年経つと聴かれなくなることが多いじゃないですか? いわゆる消費は音楽でも加速し続けていますよね。でも『うぶこえ』は、ちょっと違くて。聴いた人たちから震災への想いがあふれるコメントがたくさん寄せられ続けたんですね。それを目の当たりにしたときに、音楽が届いているって実感がこれまでより圧倒的に強かったんです。それと共に、これまで馴れ親しんできた“楽しむ音楽”とは別の意味を音楽に見て、心が揺さぶられました。こういう音楽や声をできるだけ残していきたいと思い、プロジェクトを立ち上げました。

―レーベルの事業として、うぶこえプロジェクトを行っていたんですか。

はじめはそうしていたんですが、非営利のうぶこえプロジェクトを他の営利事業と並行して続けることはなかなか難しくて。理由はそれだけではないのですが、途中から僕が引き継がせてもらいました。

―プロジェクトでは、どのような活動をされてきたんでしょう。

初期の頃は復興支援アイテムを企画/制作しながら、フェスや音楽イベントにブースを出したり、物販を中心に活動し寄付を続けていました。東京のダンサーや横浜のシンガーソングライターと被災地を訪問するドキュメンタリー映像なんかも企画/制作しました。今年の1月には、岩手の音楽フェス「APPI JAZZY SPORT」で、「2011年の思い出の音楽を教えてください!」と題し、カードに曲名や理由などを書いてもらう参加型の企画をやりました。声(カード)を集めるだけで終わらせたくなかったので、その集まった声を友人たちに読み上げてもらい映像を制作し、メディアテークで展示も行いました。9月から開催されるアンデパンダン展でも展示予定です。他にも形や場所を変えて、声を集める活動を続けています。

―いろいろな地域で活動しているんですね。

仙台市沿岸部の荒浜小学校で、震災以来毎年開催されている「Hope for project」というイベントにも2014年から関わっていて、うぶこえプロジェクトとしてイベント運営のサポートをしています。七ヶ浜の「セブンビーチフェスティバル」にも1回目から関わらせていただいています。地域との関わりやその時々のつながりの中で、できることをしてきました。

一方で、うぶこえプロジェクトだからできることが他にもある気がしていて。東京や他の地域などにも積極的に出て行きながら、これからも活動を継続していきたいと考えています。

「APPI JAZZY SPORT」で集まった声

―メディアテークに勤めていたこともあるそうですね。

2013年から3年間勤めていました。メディアテークは震災という事象に対して、今現在もさまざまな取り組みを続けていますが、音楽で何かできないかと相談を受けて一緒に企画をやったことがあって。それをきっかけにお声がけいただきました。

―メディアテークではどんな仕事をされていたんですか。

震災にまつわる市民活動のサポートをしたり、取材に同行して写真や映像を撮り、記事を作成して、ウェブサイト「3がつ11にちをわすれないためにセンター」に公開していました。また、記録のデジタルアーカイブも担当していました。デジタルアーカイブは、まだまだ不完全な手法でもあるので、スタッフはもちろん大学の先生などとも連携しながら、ゼロベースに近いところから考えていきました。

―震災関連の記録活動を通じて、何か感じることはありましたか。

記録〜保管が終わりではなくて、それに触れる機会をどうつくるかがすごく重要だと感じました。ただパネル展示したからといって、多くの人に見てもらえるわけではないですから。記録の利活用って、結構大きな課題なんですよね。

震災は僕にとってすごく大きな出来事なので、市民と協働しながらいろいろな記録を積み重ね「知」をつくる行為に、すごくやりがいを感じました。これからの世代が震災について学ぶためのものになるわけだから、見せ方とか伝え方はちゃんと考えないといけませんし。正しく残すことの難しさに葛藤した日々でもありました。

―現在はどのように働かれているんですか。

メディアテークを退職してからは、一度、学校に飛び込みメディアテーク時代に足りないと感じたスキルを学び直しました。その後はフリーランスとして動いています。クリエイティブディレクションを中心に写真や映像、グラフィックデザインなど、いろいろな仕事に関わらせてもらっています。

―フリーランスって、スケジュール管理が大変そうです。

撮影で朝4時起きだったり、ライブで夜遅かったり、確かに変則的なときも多くあります。ただ、僕はあんまり仕事を詰めすぎずに自分のペースで仕事をするタイプなので、大変ではありません。昼くらいに起きてゆっくり仕事を始めるくらいの方がパフォーマンスが高かったりするので、その辺りはうまくコントロールしています。

取材日:平成29年4月25日
聞き手:SC3事務局(仙台市産業振興課)
構成:工藤 拓也

前編 > 中編 > 後編

濱田 直樹

1981年宮城県仙台市生まれ。DJやイベントオーガナイザー、音楽レーベルでの活動を経て、東日本大震災の経験から、2013年より3年間 せんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」に勤務。主に映像やUST配信、企画展などを担当し、現在は社会と音楽をテーマに活動。音楽による復興支援活動の取り組み「うぶこえプロジェクト」や音楽を市民と語り合う場として、「くろい音楽室」を主催(宮城アナログ文化協会)。対話から生まれるデザイン及び映像制作も行っている。青葉こけし会 所属。防災士。

SEARCH

SITEMAP