仙台クリエイティブ・クラスター・コンソーシアム

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クリエイターインタビュー|濱田 直樹さん(中編)

時に家業を手伝い、時に公的機関に勤めながら、音楽を軸にさまざまな仕事をされてきた濱田直樹(はまだ なおき)さん。仕事に対する考え方や、東日本大震災をきっかけに起こった変化、仙台での暮らしなどについてお話を伺いました。

―これまで仙台で働き、暮らしてきた理由を教えてください。

ひとつは単純に地元だったということです。あとは、やっぱり人になっちゃいますね。何があるかよりは、誰がいるのかの方が個人的に大きかったりします。

―ずっと仙台にいて、何か気づいたことはありますか。

仙台って転勤族として外から入ってくる人がすごく多いと思うんですけど、一方で活動し続けている人たちがコミュニティ化している現状もあったりしますよね。

―昔からいる人たちの間で関係性ができあがってしまっているということですか。

外から人が入ってきたとき、それに反発する力が働いてしまうのを目の当たりにしたことがあって。そうやって元々あったコミュニティに入れなかったり、お酒が苦手とかふとしたことで関係性をうまく築けなかったりすると、新しく入ってきた人は、例え能力があっても思い描いたことができなくなってしまいます。僕は外部の人が介入してくるって大事なことだと思うのですけどね。

―仙台にいい影響を与えているということですか。

外から人が入ってくることで凝り固まっていた関係性が緩和されるというか、話せなかったことが話せるようになったり、動かなかったものが動いたりっていうことはあると思います。彼らはそれまでの文脈を知らないから、いい意味でズバズバと空気を読まずに聞いてくるし、話をしてくる。そういう力が働く状況にあるっていうのは仙台の強みのようにも感じることがあります。多様な人々が流動的に動く状況は、イノベーションが起こる要素としても重要ですよね。

「人の動きが魅力をつくる」と濱田さん。

―周りの地域と比べたときに、仙台に対して感じることはありますか。

芸術系の大学がない中で、それが全てではないにしろ、仙台で文化・芸術をどう育てていくのかっていうのは、大きな課題だと感じています。

―山形には芸工大がありますけど、やっぱり魅力を感じますか。

芸工大でやっている山形ビエンナーレはおもしろいですよね。すごくいいなと思っているのが、ビエンナーレが終わった後も、参加アーティストや展示など、そこで起こったことの存在をその後のプロジェクトの中からも見出せることです。これって凄いことだと思います。短期的に結果が出ないものを残したり続けたりすることってなかなか難しいけど、育てて大きくしていくためには大切なことだし、それって愛ですよね。

―仙台に芸術系の大学がないことに課題を感じているクリエイターさんは多いみたいですね。

人材育成ということで言えば、芸術大学は課題解決の糸口にはなり得ますよね。人材育成をしたいと思っている人って僕の周りにも結構いて、育てたいという気持ちはすごく強いんだけど、育てたいと思える人に出会えないと嘆いていたりもしていて。芸術系の大学ができることによって、うまくマッチングしたらいいですよね。

―育っていく側の人って、そんなに少ないんですか?

聞いた話であれですが、東北大や芸工大の卒業生の多くは東京(仙台以外)に職を求めるみたいです。あとは仙台にいるのに見えない人たちも一定数いるのかなと思います。今はインターネットの中だけで発信できたり、仕事が取れたりすることもあって、表面化しない創作活動をしている人も相当数いるような気がしています。どこから育てるのかということもありますが、その辺りを掘り起こせたらおもしろいかもしれないですね。

―でも、掘り起こすにも直接その人が見えてこないと難しそうですね。

クラウドで仕事がまわっていくこと自体はおもしろいと思うんですけど、人が見えなくなっていっちゃうのはちょっと寂しいですね。

―私たちも若い人の発掘だ育成だってやっていますけど、作品や名前が見えてくる方は、もうクリエイターとして成り立っている方だったりしますね。

例えば最近マルシェ的なものが多く行われてますけど、近しいことが言えると思います。僕はマルシェが好きで、たまにウロウロしに行くのですが、なんだか同じ作家さんが出店されていることも多くあって。あ、またあの作家さんだみたいな。マルシェにしろ、何にしろ、人がとどまると停滞しますよね。

―仙台で仕事を続けていくことに関して、課題だと感じることはありますか。

仕事の数が、東京とかと比べて少ないですよね。一つ一つの仕事の規模の違いも強く感じます。例えば、音楽業界における仕事の案件(デザイン〜ミュージックビデオなど)が仙台から発生することはほとんどありません。もしあったとしても規模は小さく、また予算もそれなりでしょう。これが地方の現実だと言えます。仙台でクリエイティブの仕事をうまく回しているところって、東京に支店を構えていたり、もしくは直接的な関係性から仕事を受けていることが多いですよね。主に広告におけるいわゆるクリエイティブ業においては、残念ですが現状では東京との関係性がポイントになってくるのだと思います。人によってはそれが東京ではなく、海外だったりするのかもしれません。

―東京の仕事を受けるための仕組みづくりみたいなことですか。

ネット社会の仕事のあり方でいうと、もはや東京というか仕事があればどこでも、ということにもなりそうですが、どこであろうとどう接続するかは考えなくてはいけないですよね。

クリエイターのクオリティで考えたら、東京だからすごいっていうことは絶対にないですから、そういった意味ではこれまでより地方にはチャンスは広がっているのかもしれません。ちなみに僕は最近だと福島の案件が多いです(笑)。

―「仙台がこうなったらいいな」ということ、他にもありますか。

やっぱり人の動きですかね。例えば今仙台にある文化活動の場もコミュニティが固定化している感じがするので、そこに動きが出るといいかもしれないですね。 

メディアテーク時代に一つの企画を時期をずらして市内の複数箇所で展開した経験があるのですが、来場者のほとんどがそもそもその場所のフォロワーで。10-BOX・メディアテーク・市民活動サポートセンターなどなど、僕が思っていた以上に、人が回遊するという動きは起こらなかったんです。

―場所同士が関係をつくって、情報を共有し合ったりすれば行き来が生まれますかね。

やり方次第ではいくらでも生まれると思っています。例えばメディアテークなんかだと対話のイベントも多く、ファシリテーションに長けたスタッフもいたりするので、市民協働企画している「てつがくカフェ」を10-BOXでの演劇終了後にその演目を題材にやってみる、なんていうのもいいかもしれないし。またはFabLabと演劇のマッチングから、もしかしたら画期的な道具が生まれるかもしれない。それをワークショップとして…。勝手なことばっか好き放題に言って!とか怒られそうですが。あくまで妄想として(笑)。でも、普段はその場所にいない人たちの意見を「わかってねぇなぁ」とかで簡単に片付けないで、アイディアの種として捉えて形にしていけたら、それぞれを相乗的に活性化できるのではないでしょうか。

取材日:平成29年4月25日
聞き手:SC3事務局(仙台市産業振興課)
構成:工藤 拓也

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濱田 直樹

1981年宮城県仙台市生まれ。DJやイベントオーガナイザー、音楽レーベルでの活動を経て、東日本大震災の経験から、2013年より3年間 せんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」に勤務。主に映像やUST配信、企画展などを担当し、現在は社会と音楽をテーマに活動。音楽による復興支援活動の取り組み「うぶこえプロジェクト」や音楽を市民と語り合う場として、「くろい音楽室」を主催(宮城アナログ文化協会)。対話から生まれるデザイン及び映像制作も行っている。青葉こけし会 所属。防災士。

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