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ピー・ソフトハウス(前編)ゲームメーカーを目指す道のりの中で見えた、自分たちの強み

仙台を拠点にコンシューマーゲームソフトの開発を約30年にわたって手掛け、独自の画像処理・音声信号処理技術を生かした自社製品、ライセンス事業を展開するピー・ソフトハウス。IT起業ブームが到来する一足先の1990年に創業し、バブルの狂乱を横目に開発を地道に積み重ねてきた経験から生まれたCG・音楽の制作支援ソフトウエアは業界のデファクトスタンダードとされるまでに成長した。畠山慶輝社長にこれまでの歩みを振り返ってもらう。

ゲームメーカーを目指す道のりの中で見えた、自分たちの強み

―まずは会社の立ち上げから振り返っていただけますでしょうか。

畠山 東京のソフトウエア開発会社の仙台営業所でプログラマーとして勤めていましたが、6年目で退社し、3人で会社を作りました。バブルの頃ですから世の中行け行けゴーゴーで、コケてもどうにでもなるだろうというぐらいの軽い気持ちでした。

会社設立当初から家庭用ゲーム機のソフトウエアをデベロッパーとして作っていました。作っていたといってもパブリッシャーさんから発売になるソフトウエアですので、一般的に言われるところの下請けです。われわれの担当は開発(物を作る)というフェーズだけで、実際に発売するのはパブリッシャーさんです。われわれへの利益の大きな分配というところまでは、なかなかままならないわけで、われわれも早くデベロッパーからパブリッシャーになりたいと考えるようになりました。

そんな折、ソニー・コンピュータエンタテインメントさんがプレイステーションを出して、一般の人でも開発できるような機材を販売しました。われわれのような小さなデベロッパーがパブリッシャーとしてソフトウエアをリリースすることができるようになったんです。1996〜97年くらいのことですね。

1990年にピー・ソフトハウスを創業した畠山慶輝社長

―それでゲームメーカーになろうと模索したわけですか。

畠山 その波に乗りたくて頑張ったんですけど、なにぶんここにいるメンバーは、プログラムやデザインや音楽など、それぞれの仕事に関してはプロフェッショナルなんですけれども、その上の層の仕事というんですかね、企画やパブリッシングに関わるいろいろなことを知らないわけですよ。そもそも開発の資金を用意しないといけないんですが、われわれが億単位のお金なんて用意できませんし。

でもやってみたい気持ちが強かったので、みんなで企画を考えて持ち寄って、その中から良さそうなものをプロトタイプまで作って評価することをしたんですけど、やってみると面白くないんですよね。企画を練って作るというよりは、技術的な視点から企画に落とし込んでいるので、企画に難があるのと、購入層のターゲッティングがうまくできていない。いまわれわれがゲームソフトのパブリッシャーになるのは、いろいろな側面でまだ難しいんだなと気付かされました。

ゲームは難しいとなったときに、当時はマルチメディアの時代でしたので、そのコンテンツを作る部隊を育てていけば、いずれゲームも作れるかもしれないと、そちらを推し進めました。営業用のサンプルを作って大手企業に行ったり、コンテストに出たり、さまざまな活動をしているうちに名前が知られるようになって、いろいろなところとお付き合いが増えていきました。

手掛けた製品のリーフレットや関わってきた作品のポスター、受賞盾が並ぶエントランス

―そうした中で、特に転換期となった出来事は。

畠山 一番大きかったのが、いがらしみきお先生の「ぼのぼの」の映画で声を掛けていただいたことです。原作・脚本がいがらし先生で、映像作家のクマガイコウキさんが監督、竹書房がスポンサーでCGの「ぼのぼの」を作るというプロジェクトがありました。いがらし先生のコンテが出来上がって、制作会社が何カットかサンプルシーンを作ったところ、出来上がったものをいがらし先生が見て「こんなテカテカしたようなものは『ぼのぼの』じゃない」と。持参した絵本を指さしで「こういう表現がぼのぼのの世界観だから」と言われました。

いがらし先生もクマガイ監督も仙台の方だということもあり、「こういうものを仙台で作りたいので協力してもらえないか」とうちの会社に相談に来られました。それで2カットほどサンプルを作って、いがらし先生に「これならいいでしょう」と言ってもらえるレベルまで出来上がりました。

結局、全てそのクオリティーで仕上げる時間も予算もないので、折衷案として「モンスターズ・インク」のキャラクターのようにファー(毛)を生やすというところで制作会社が仕上げて映画として公開されました。ですからわれわれも制作協力で名前が入っているんです。

そういう水彩画みたいな表現は一般的にコンピューターグラフィックスでは不得意としているんですけど、われわれがサンプルとして作ったものはそういう表現ができていたので、どうやって作ったのかデザイナーから説明してもらい、手描きのようなアナログ表現が可能な動画制作ソフトウエアの開発が可能ではないかと確信しました。

CGを作るのではなく、CGを作るソフトウエアに目を向けたんですね。

畠山 IPA(情報処理推進機構)の外郭団体、DCAJ(デジタルコンテンツ協会)のマルチメディアコンテンツ制作基盤支援事業に、水彩画がチラチラせず滑らかに動く動画を作れるようなソフトウエアを企画して出したところ、予算が付いたので、プロトタイプの制作まで行いました。

水彩画が滑らかに動くソフトのプロトタイプ

いますぐにゲームのパブリッシャーは無理ですけど、CGのソフトウエアであれば、われわれが普段プロとして仕事している分野の融合ですし、企画もターゲットもしっかりしている。そこで、製品化に向けて動き出したのが2001年。そこから2年かけて、CGと音楽制作のソフトウエアの開発を進めると同時に、それをダウンロード販売するためのシステム作りと、日本の法規や契約に関する準備を進めて、発売にこぎ着けました。

―既存のソフトウエアもあったと思うのですが、どういう差別化を図ったんでしょうか。

畠山 CGのソフトウエアは映画の成長と共に育ったので、北米のものが主流なんです。英語ができなければ、マニュアルが分からない、問い合わせもできない。外国のソフトウエアは緻密に作られていないところもあって、よく落ちる。デザイナーさんやクリエイターさんはそういうところに苦労しながら、寝ないで一生懸命作っているわけです。

それなら、使い物になるものを私たちが作ろうと。当たり前ですが日本語のマニュアル付きで、日本語の問い合わせに日本語で回答して、しかも動作が安定して、日本人の繊細な感性に合ったようなソフトウエアにすれば絶対いけるよねと、そういうところからソフトウエア作りを始めました。

一方、音楽のソフトウエアはヨーロッパのものがメインですが、同じような状況なんです。どちらにしても、僕たちが日頃素材として扱っているものを作るためのソフトウエアは品質が悪い。ならば品質のいいものを自分たちで作ろうということで始めました。

ピー・ソフトハウスの新たな方向性が示された自社オリジナルソフトウエア

取材・構成:菊地 正宏
撮影:松橋 隆樹

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株式会社ピー・ソフトハウス

1990年設立。PSOFTブランドのCG制作支援/音楽制作支援ソフトやPSOFT MOBILEブランドの携帯端末アプリのメーカーです。コンシューマゲーム機向けゲームソフト、制御系や組み込みシステム、デジタルコンテンツやWeb制作など、新サービスや新製品の開発など、受託の各種ソフトウエア開発も行っています。また、独自の特化した保有技術は他社へライセンスするなど、仙台でワールドワイドに事業展開しています。

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