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クリエイターインタビュー|太田 サヤカさん(前編)

フリーランスデザイナーとして活躍する太田サヤカさん。「Little Partner」を屋号として、常にクライアントの伴走者であろうとする太田さんに、お仕事のこと、仙台で働くことについて伺いました。

 

―現在までの経歴を教えてください。

 出身は秋田県秋田市で、田舎で生まれ育ちました。友達も幼稚園から中学校までずっと一緒みたいな。すごく平和なところで育ちました。

―秋田にはいつまでいたのですか。

秋田には二十歳までいました。18歳で高校を卒業して、その後専門学校に入りたいと思ったんですけれど、すぐに資金が貯まらなかったんです。なので、2年間アルバイトをして仙台に来る資金を貯めてから、2年遅れで専門学校に入りました。

―自分で貯めたんですね。

そうです。

ホテルで宴会場の準備をしたり、お寿司屋さんでお寿司出したり。飲食店で社会勉強というか、大人の人とかかわって2年間やってきました。二十歳のとき、ちょうど震災の年だったんですけど、仙台に出てきて、入学式がないまま東北電子専門学校のグラフィックデザイン学科に入学しました。

―そのときからグラフィックのデザインをやりたいと思っていたんですね。

そうですね。高校では吹奏楽部に所属していたんですけれど、演奏会のポスターとか看板を担当していたんです。小さいときから絵を描くのが好きで、「得意なんだからやってよ」って言われてやっていたんですが、ある日友達に「よくこんなことできるよね」みたいに言われて。私はそれってみんなにとっても楽しいことだと思っていたのに、楽しくないって思う人もいるんだっていうことに衝撃を受けて。もしかしたらこれは自分にしかできないことで、仕事にできるかもしれないと思って。それでグラフィックデザイナーに辿りついて、目指しました。

ただ、秋田にいた2年間は、本当にお金を貯めるのに必死で、全然勉強できていなかったんですけれども、飲食店って結構デザインに通じるところがあるというか。人とかかわる、人の先を読んでお客様がどう思っているかっていうのを察しながら丁寧に仕事をしなきゃいけないので、今の仕事に生きていると思います。

それで、専門学校に入ったんですけれど、学校に入れたことが嬉しくて、あまり真剣に授業を受けていなかったというか。

―入ることが目的になっていたということですか。

面白い友達が多くて、その人たちとバカなことをしたりとか、とにかく学生であることをすごい楽しんでやった2年間で。そのときも仕送りがなかったので、アルバイトをまた飲食店でやりながら、学校に通っていました。そのときから考えると、今自分がフリーランスでやっているのも全然信じられないです。

―マネタイズに関しては、その辺の大学生に比べたら随分大人ですよね。

 とにかくお金がない、ないって毎月必死でした(笑)。

就職では、ポスターとか広告系の会社に行きたかったんですけれども、自分のやりたいことの求人があまりなくて。そんな中で、仙台にその年にちょうど進出してきたゲーム会社があって、そこに入社しました。KLab(クラブ)というゲームアプリの会社なんですけれども、その説明会で自分のデザインに関する開発とか、デザインに関する勉強の時間を勤務時間内で充てていいっていう制度があって、何てクリエイティブな会社なんだって思って。

モバイルアプリとかゲームとか興味はなかったんですけれど、その働き方にひかれたんですが、求人をしていなくて。でも諦めきれなくて、その会社の仙台事業所にいる人のブログを読んでいたら、東北大の学生とかを集めて短期間でアプリをつくったりとか、ビジネスコンテストに出場したりとかするコミュニティーみたいなのをやっていることがわかって、「デザイナーは必要ないですか」って電話してみたんです。そうしたら、「ぜひぜひ」って言われて。そのコミュニティーに参加しているうちに、アルバイトの募集があって、ダメもとで行ったんですけど、設計とかデザインをやりたいって言ったのが私だけだったらしくて、実際そっちの人材のほうも欲しいってことで、無事に入れました。

―社員ということですか。

 それはアルバイトで、ただ昇格していけるって聞いていたから、昇格していくぞと思って入ったんです。

それで、某アニメのカードゲームとか、あとはスポーツのゲームでサッカー選手とかの写真を切り抜いて、それを格好いいカードにしてつくるみたいなことを1年間やって。その分野に初めて飛び込んだし、スマートフォンが普及してきたのもちょうどそのころで。どうやったら使いやすいか、見やすいか、どんな印象を与えるのかとか、そういう人の生活に密着したデザインみたいなことをそこの会社にいながら勉強していって。

学生時代に勉強していただけじゃだめで、この仕事って仕事しながらずっとアップデートされて、ずっと勉強し続けながら仕事をやらなきゃいけないんだなっていうことを学びました。

―そこにはどのくらいいらっしゃったんですか。

 1年ぐらいしかいなかったんですけれども、その会社にいたときに若い人たちを対象にIT教育というか、アプリを開発する仕方を教えたりしている石巻の会社とつながりができて。そこから「うちの会社に今デザイナーがいないから来てくれないか」って言われて、自分の今の技術で何かちょっとでも役に立てるかもって思って、石巻に移住して、3年半いました。

フリーランスになってから太田さんが手がけたアイテムの数々。視力検査でおなじみのあのイラストがキュートなポーチに

―何という会社ですか。

 イトナブという、震災があった年に立ち上がった会社です。イベントのロゴをつくったり、ウェブサイトをつくったり、キャラクターをつくったり、デザインを勉強したいっていう子が来たときに、ツールの使い方を教えたりとか、ワークショップを開いたりとか、そういうことをやっていたんです。

それまでは、「デザインでご飯が食べていければいいや」って感じだったんですけれど、石巻の人たちとかそこにかかわる大手の企業の人たちとかの姿を見て、「私も自分にしかできないことをやりたい」っていう、独立心みたいなものが芽生えてきたんです。

というのも、石巻ってゼロからものをつくったりとかする人がたくさん集まっていて。飲食店も家具をつくるとか、街のデザインをするところとか、そういう志を持った人たちが集まっていて、「みんな友達」みたいな感じだったんですよ。だから、いろんな人を見て刺激を受けて、あと海外にも行かせてもらって。

―どちらへ行ったのですか。

 アメリカとシンガポールです。グーグルとかアップルとかエバーノートとか、IT系の企業の会社に行って見学をして、そこで働いている人のお話を聞くっていうことをしたりしていて、本当に貴重な機会でした。

ただ一方で、社内にデザイナーが1人しかいないから、自分のデザイナーとしての技術っていうのが上がっているのかがわからなくなってきちゃって。つくったものをできましたって提出して「いいね」って言われても、本当にいいのかな…みたいな壁にぶち当たって。

自分1人の力だと、そこまでの力しか出せていないんじゃないかって思い悩んでいて、悩んで、悩んで、いろんな人に相談して、結果的にその会社をやめて、仙台に一旦戻ってきて。半月ぐらいこれからどうしようかなって考えているときに、偶然analog(あなろぐ)に声をかけてもらって、アルバイトを始めたんです。

アメリカ出張で訪れたGoogle本社

―analogさんではどういうお仕事をされていたんですか。

 analogは、主にオペレーションが多かったです。箔押しを100枚押すとか、シルクスクリーンを何十枚も刷るとか、あと製本の仕事もあったりとかして。レーザーカッターとか、レンタル印刷所なので、そこに来るお客さんたちに機械の説明をしたりとか、あとはワークショップもやったりしていました。やらせてもらいながら、自分の好きなものも実験的につくっていいよって言われてやらせてもらっていて。

―印刷のことを勉強できたんですね。

 印刷のことというよりは、ものをつくる手間暇っていうのを勉強して。ウェブサイトとかアプリとかって、1個のパソコン上でデザインして終わりじゃないですか。でも、やっぱり昔ながらのシルクスクリーンの手法だったりとか、箔押しだったりとかって時間がかかるし、体力もいるんですけれども、すごいそれってものづくりする上で忘れてはいけないことだなっていうことを改めて気づかされて。印刷について学んだというよりは、ものを手間暇かけてつくる大切さというのを学びました。

あとは、印刷工業団地の中にあるので、1個のものをつくるのに、例えばアートブックとか、複数の印刷屋さんが協力してつくっていたりとかするんですよ。ここの部分はこの印刷所さんに発注してお願いするみたいなことも初めて知ったんです。

―これまでで印象に残っているお仕事は何ですか。

 リボーンアート・フェスっていう石巻でやっていた芸術祭のマップを作ったんです。鈴木康広さんという、私の憧れのグラフィックデザイナーの方が参加していて。私が憧れているっていうことを知ったリボーン・アートの事務局の方の紹介で私も参加できることになって。

イラストとかの全体は鈴木さんがされたんですけれども、私はこのまちのマップの下書き、書き起こしをやったりとか、あと店舗ごとにイラストが裏にあるんです。

お店をイメージした鈴木さんなりのイラストが載っているんですけれど、このイラストと店の情報を載せていいかっていう交渉をやったりとかして。

―すてきなお仕事ですね。

 ありがとうございます。石巻でいろんな人とかかわったおかげで自分の憧れの人と一緒に仕事ができた、自分にとって集大成みたいなものなんですけれども、これが終わったあたりで会社をやめたんです。いろんな人とかかわって、自分の世界を広げてというフェーズはもう終わっていいのかなと思って、もっと自分の実力を試したくて、自分を全く知らない人が初めて自分の作品を見たときにどう思うかとか、自分のレベルっていうのを知りたくて、イトナブをやめて。

仙台の企業に勤めるか、自分1人でやっていくか、その半年ぐらい悩んでいたんですけれども、analogでその間バイトして。で、analogって結構いろんな人が来るんですよ。アーティストさん、デザイナーさん、フォトグラファーさんっていう人たちとお話ししていくうちに、1個の会社に勤めてしまったら、こういう人たちと出会う機会っていうのは減るんじゃないかなと思ったし、人と話したりするのが好きなので、フリーランスのほうが自分には合っているんじゃないかなと思って。それで、2018年の1月にフリーランスを開業して、まだ1年ちょっと経ったぐらいなんです。

取材日:平成31年3月6日
聞き手:仙台市地域産業支援課、岡沼 美樹恵
構成:岡沼 美樹恵

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太田サヤカ

人に寄り添う、小さな相棒みたいなものを
デザインしていきたいという想いで活動しています。
ロゴ・キャラクター・イラスト・WebApp・印刷物など手がけています。
肩に乗っているのは、シマリスです。

 [経歴]

2013年 KLab株式会社 グラフィックデザイナー
2014年 株式会社イトナブ グラフィックデザイナー
2017年 DIY印刷加工所analog スタッフ
2018年 独立「Little Partner」グラフィックデザイナー

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