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AZOTH(中編) 工場全壊を乗り越えたアゾットの新たな展開

「デザインとクラフトの融合」を掲げ、企画提案力と製造までの一貫体制を強みに都内で顧客を増やしていったアゾット。仙台の工場もフル稼働していたが、そこへ東日本大震災が襲う。「会社がなくなった」――。数万枚の納品予定を抱え、工場再稼働の見通しも立たない中、人々の善意と縁がつながり京都で生産を再開。未曽有の大災害を乗り越え、縁は絆に、逆境は成長の機会に。「第二のふるさと」京都との取り組みや分社化など、新たな展開を迎える。

工場全壊を乗り越えたアゾットの新たな展開

―その頃、仙台ではどのように動かれていたんですか。

浅野 基本的に小野崎さんが取ってきたファッションブランド、セレクトショップや、百貨店の仕事を自分が電話を受けて、工場で作っていくという流れですね。

 

小野崎 私は月の半分は都内にいて、あちこち回って仕事を取って、「浅野君、お願いー」みたいな感じで頼んでいました。

―「Tシャツくん」ではなくなったとはいえ、設備や技術的には問題なかったんでしょうか。

浅野 プリントや加工に関して言えば、当然、私たちはプロですので、お客さんよりは詳しいですし、そこは任せてもらえました。縫製やパターンについては分からない部分も多く、協力していただく会社さんと一緒になってやりました。

試行錯誤を重ね、現在の生産体制の基礎を作り上げていった浅野さん

小野崎 いろいろと細かい問題もあったんですが、それを一つ一つ対処しながらノウハウを積み重ねていった感じです。例えば2005〜06年ごろに、それまでのアメリカンラバープリントから染み込みプリントという水性のプリントが主流になり、最初のうちは指示された色と違って上がることもありました。目で色を見ながらの調合だったので、どうしてもぶれてしまう。それを電子測り機でコンマ3、0.00何グラムまで管理して、絶対に色がぶれないようなレシピを作り上げていきました。

―その後も順調に都内での仕事が増えていったんですか。

小野崎 そうですね。私の持っているお客さんがほぼ100%東京になったので、2007〜08年ぐらいに東京の事務所を作ったんです。OEM(Original Equipment Manufacture)、ODM生産の仕事が増えていって、会社としても規模が大きくなっていきました。

 

浅野 人も増えて、順調に毎年売り上げも伸びていった…ときに震災が起きました。

―…工場が全壊してしまったんですよね。当時のことも教えていただけますか。

小野崎 あのときはちょうど浅野君が東京に出張に来ていて、金曜だし今夜は飲んで帰ろうなんて話をしていたんです。その前に15時から銀座でシップスさんと商談の予定があって向かっていたときに地震が起きて、すれ違う人の話で東北が大変なことになっているようだというのは分かっていましたが、事務所に戻ることもできず、そのままシップスさんに行きました。

「15時から商談で来ました」と言ったら驚かれましたけど、商談はともかくゆっくりしていきなさいと言ってもらって、担当者さんと雑談をしていたら携帯にショートメールで「会社がなくなった」と。写真が次々に送られてきて次第に状況が分かって、その写真を見たシップスの副社長さんが心配してくださって、その場で支援を頂きました。

震災で全壊したアゾットの旧工場

―そのとき浅野さんは。

浅野 代官山にいて、やはり私も得意先の社長さんに「車とガソリンを預けるから仙台に帰りなさい」と言ってもらえたんですが、震災直後は高速道路は一般車両通行止め、国道4号線は大渋滞でしたので、お気持ちだけ頂きますということで都内に残りました。映画監督の岩井さん(岩井俊二さん。相澤社長の義理の兄に当たる)の家に身を寄せていましたが、その数日後に京都へ移動することになります。

―なぜ京都へ。

浅野 私たちの染色の師匠に当たる原利雄さん(京都の染色工場「原染工」社長)の工場で使っていない設備をお借りして一刻も早く仕事を再開する必要があったからです。3月15日の朝には東京を出て、京都を回りアパートやマンションの手配をして、3月末には仙台のスタッフを数名連れて京都に入りました。

 

小野崎 私は都内に残ってお客さんのフォローをしていました。納品予定のあったメーカーさんを全部回って、こういう状況なので申し訳ありませんと説明して歩きましたが、「こういう状況だからそれはいいよ」と皆さん言ってくれて、気遣ってくださいましたね。

―京都ではどのような状況だったんですか。

浅野 場所を提供していただいただけでなく、原さんの声掛けもあって、京都府内の同業者の方々、関西近畿エリアの同業者の皆さんが支援をしてくださるなど、私たちを助けようというムードが地域で出来上がっていました。衣食住、まるで居候のような感じで、温かい協力の下でやらせてもらっていました。震災直後の3月は仙台で工場を再稼働できる場所もすぐにはありませんでしたし、事業が再開できる見通しも立たなかったので、ここまで応援していただけるのだから、とにかく京都で目の前にある仕事だけに集中して過ごしていました。

原染工の工場を間借りして生産を行っていた当時の様子

小野崎 幸い、半年ほどで仙台に新しい場所が見つかって、京都に行っていたみんなも戻ってきて、2011年の10月には仙台で本格的に再開できました。

―震災後も京都とのつながりは続いているんですか。

小野崎 恩返しというわけではないんですが、お世話になった京都の皆さんと接点を持ち続けようと、自分たちがデザインから開発まで行い、京都でプリントや加工をしてもらって、それをテキスタイルにして売り出そうという取り組みを行いました。仙台市の輸出入チャレンジ支援助成金を頂いて、ジェトロさんのバックアップも受けて、パリ、ミラノ、ロンドンの商談会に自分たちが作った商品を持っていきました。

―震災を経て変化したことは。

小野崎 現在の3社体制に分社化したのも震災がきっかけです。震災前はアゾットという一つの会社の中で、工場とデザイン部と小売り部門があったんですが、その3部門を別々の会社にして、アゾットにマネジメント機能を置いて、それぞれ別で動けるようにしました。災害などまた何か起きたときに、仙台のアゾットブランチは製造で、東京のアゾットセブンアップスは企画で、独立して機能できるようにと。同時に、それぞれがもっと成長できるようなチャレンジもしていこうという気持ちもあり、その取り組みの中で課題も見えてきました。

東京・代官山に事務所を構えるアゾットセブンアップス

 

取材・構成:菊地 正宏
撮影:松橋 隆樹

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