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ブライト(前編) デザインとの出合いから足早に積み重ねてきた経験

ウェブサイトをのぞくと、制作実績として市内の人気飲食店や話題を集めたプロジェクトがずらりと並び、カフェと物販、レンタルスペースで構成された複合ビル「1TO2 BLDG.(イチトニビル)」の運営も行っているとある。フリーランスで6年、法人化して2年の間にそれだけ目立った成果を次々と表してきたブライトだが、それらを手掛けた人物が前面に出てくることはない。いったいどんな人物なのか。代表取締役でアートディレクター・デザイナーの荒川敬氏にこれまでの歩みを聞いた。

デザインとの出合いから足早に積み重ねてきた経験

−お仕事は拝見していたのですが、どういう方なのか全く見えてこなくて、その正体を知りたいと思ってやって来ました。

荒川敬(以下、荒川) あまり表に出るのが得意ではなく、今回も顔は(写真非公開で)すみません(笑)

−まずデザインを仕事にしようと思ったきっかけについて教えてください。

荒川 僕は塩釜生まれで、中学生の時から設計士になりたいという夢があったんですけど、高校は建築科に落ちて土木科に入りました。設計以外で何をしようかと考えたときに、絵を描くことが昔から好きだったので、それで何かやってみようと。

当時イービーンズの地下にあった「ハンジロー」という古着屋さんがTシャツのデザインコンテストを行っていて、それに応募しました。何案あったか覚えていませんが、最後の10案に僕の案が2つ残って販売されたんです。デザインしたものが商品になって販売されて、お客さんが手に取っているのを実際に見たら、ああ、デザインって面白いなと思いました。当時はまだ「広告」という存在を知らなかったので、デザインの解釈が少し違っていましたが。

その時、Illustratorのデータで応募すると、手描きに比べてもらえる金額が倍だったんです。お金の話で恥ずかしいんですが、手で描くことしかできず、当時高校生ながらも仕事にするにはMacintoshを覚えなければならないんだなと思い、専門学校に入りました。

専門学校で授業を受ける中で、これで本当にデザイナーになれるんだろうかと不安になって、在学中に印刷会社で働き始めました。アルバイトで1年、社員として1年、その間ずっとデザイン会社の求人を探しながら働いている感じでしたけれども、DTP、印刷や加工、印刷機のことまで学んで、そこで得た知識は後々役立っています。

ブライト代表取締役でアートディレクター・デザイナーの荒川敬氏(右)

−その頃はまだデザインの仕事はしていなかったんですか。

荒川 印刷会社ではしていませんでしたが、いろいろなつながりで、個人でデザインの仕事を頂くようになりました。地元の小さなかまぼこ屋さんとか、ちょっとしたフライヤーの仕事とか、そういったものを少しずつ、会社に隠れてこっそりやって。それをポートフォリオにまとめて転職活動を行い、デザイン会社で働き始めることになります。21〜22歳の時ですね。

僕は「文字」が好きで、もともと写植屋さんだった背景があるデザイン会社でしたので、タイポグラフィーについて学べるのではと思い入社しました。勤務してから数年後、社内が個人採算制で、社内の人間でも仕事を頼む場合にお金が発生するという変わった形態になりました。いま思えばそこでフリーの模擬体験ができていたのかもしれません。

基本は広告代理店さん経由で、百貨店や自動車メーカーなどのクライアントさんから仕事が入ってくる流れでした。勤務年数を重ねるごとにだんだんと、直接クライアントさんのリアクションを聞きたい気持ちが湧き上がってきて。でもキャリアも短いですし、それを言える立場でもありません。ですがその思いだけはどんどん膨らんでいき、そこから転職を考えるようになりました。

当時の僕はデザイナーとして末端にいることしかできず、何か発言するには、全体で何が起きているのか把握する必要がありました。そこでデザインを頼む側を経験してみたいと考えるようになりました。

−頼む側というのは、広告代理店ですか。

荒川 代理店さんもクライアントさんから頼まれているので、企業の広報担当が仕事を発生させる側の一番の端になると思い、広報の仕事で転職先を探し始めました。業態問わず求人に応募して受かったのが、国内外に30店舗以上展開する外食企業でした。そこでは代理店さんに逆に依頼をしたり、企画で数社にプレゼンしてもらったり、「頼まれる側」と「頼む側」のどちらも経験できたことは、現在にも生きていると思っています。

インタビューを行った1TO2 BLDG.2階の「物語のあるモノ MYAKUMYAKU」

−外食企業の広報で、例えばどのような仕事をされましたか。

荒川 全体の流れとしては、季節に応じてメニューの材料となる素材を仕入れチームが探し出して契約をしていきます。それを使ったレシピを各店の料理長などに考案してもらって、一部店舗でテスト販売をして、売り上げの推移などを見ながら導入を決めていく。そこからは商品の撮影をして、広報プランを考えて、チラシを作って、POPを作って、レジ登録して、レシピを全店の料理長に流してと。

企画広報チーム全体の仕事の中で、Illustratorなどを立ち上げて実際にデザインをすることは5%か10%ぐらいで、それ以外の仕事の方が量としては圧倒的に多かったです。ほかにも自社サイトの更新や売り上げの確認など、制作会社にいた頃には分からなかったことがあり、とてもいい経験になりました。

−転職を繰り返して独立に必要な知識やスキルを足早に得ていったような形ですね。

荒川 いま思えば、印刷を覚えたいから印刷会社に、文字のことを勉強したいから写植の会社に行こうと、目的を持って選択をしていました。実は仕事に対する考え方が切り替わった出来事がありまして。22〜23歳のデザイン会社にいた頃、兄が突然病気で亡くなってしまいました。

どちらかというと僕の方が不健康で兄は筋肉隆々な元気印みたいな人でした。亡くなったショックはもちろんですが、あんな元気な人でも何が起こるか分からない。やりたいことがあるならどんどんチャレンジしろと言われているような気がして。それ以来、夢半ばに亡くなった兄の分も含めて、他人と同じスピードでやっていても時間がもったいないなという考えに変わっていきました。これを学んだらすぐ次に、と急いでいるように見えるのは、そのことが根本にあるんだと思います。

−そうでしたか。

荒川 そして東日本大震災のあった2011年に独立して2017年に法人化し、いまに至ります。現在、デザインでは代理店さん経由の仕事はほとんどなくて、ほぼ100%クライアントさんと直接仕事をさせてもらっている状況です。

−秋保ワイナリー、ザ・ミュージアムMATSUSHIMA、ずんだシェイクEXPRESS、OCHACCO、ほかにも市内の居酒屋や飲食店のデザインをたくさん手掛けていて、あれもこれも御社だったのかと驚きです。

荒川 いえいえ、ラッキーとたまたまが続いているだけです。友人や知り合いのご紹介やウェブサイトから問い合わせが重なって、ギリギリの時を何度も乗り越えながらなんとかここまでやってこられました。自分というデザイナーが仙台にいることをほとんどの方々は知る由もありません。担当させていただいたお仕事を実績として紹介させていただけたことは、大きかったと思います。

ブライトが手掛けた秋保ワイナリーの制作物

−制作事例を拝見して、タイポグラフィーに強いのかなという印象ですが。

荒川 事業の始まりから入るようなブランディングの仕事が多いので、ロゴデザインから発生することが多いんです。全体の予算枠がある中で何が作れるかを提案するに当たって、どうしてもロゴからスタートすることになり、確かにほかのデザイン会社さんよりも手掛けている数は多いかもしれません。ここは自分なりにすごく勉強しているところでもあります。

−「MONO SENDAI」(仙台・宮城の工芸品を紹介する仙台市文化観光局観光課のウェブサイト)にも参加されているんですね。

荒川 BEAMSのレーベルfennicaのディレクターが宮城県内の伝統工芸品などをリブランディングした商品を販売する「BEAMS EYE Sendai,Miyagi」という物産展がありまして、2016年にそちらのデザインを担当したことがきっかけです。

その流れでMONO SENDAIの企画も担当させていただきました。ネーミングからロゴマーク、サイトデザイン、ディレクション、撮影とプロジェクト全体に関わらせていただきました。ですがその後の運用で、公開されたサイトは数回だけ更新して、年度予算の関係や担当の方の異動・退職などが重なり、サイトとしての更新が止まってしまって。それが後ほど話す1TO2 BLDG.の話にも少し関わってきます。

−それは…SC3ウェブサイトにとっても興味深い話です。

「MONO SENDAI」ウェブサイト。この話は中編で

取材・構成:菊地 正宏
撮影:松橋 隆樹

 

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株式会社ブライト

宮城県仙台市に本社を置く、小さなデザイン・ブランディング会社です。デザイン制作を中心に、遊休不動産の活用事業「1TO2BLDG.」の運営、その中でカフェ・物販・イベント企画運営・ギャラリー運営などを行っております。少人数ながら、新しいことへチャレンジしていきます。

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