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ハミングバード・インターナショナル(前編)一軒の洋食店から始まった親子3代のストーリー

仙台市内を中心に飲食19店舗を展開する株式会社ハミングバード・インターナショナル。そのルーツは初代が60年以上前に脱サラして始めた一軒の洋食店だった。その後2代目が「ハミングバード」を開業し、店舗を展開。思うように伸びず、当時アメリカに留学中だった3代目の青木聡志現社長が呼び戻されることになる。夢半ばながらも、弱い姿を見せたことのなかった父親の言葉に打たれ決断。右も左も分からない状態で店を任され、奮闘の日々が始まった。

一軒の洋食店から始まった親子3代のストーリー

−現在さまざまな店舗を展開されていますが、最初のお店はどのように始まったのでしょうか。

青木聡志(以下、青木) 1957年に青葉区中央1丁目、いまの仙台ロフトさんのビルの辺りにまだ大きな建物が建つ前に横町があり、そこで祖父が脱サラをして6坪くらいの店を始めたのが始まりです。「西洋フランス料理」という肩書が付いた「キッチン エリーゼ」という店なんですが、当時の写真を見ると「ホットドッグ 50円」とか「カレーライス 70円」とか書いてある。どこがフランス料理なのか分かりませんが(笑)、洋食全般のことを言ったのかなと思います。

−初代が料理の道に進まれたんですか。

青木 いえ、祖父と祖母のほかにコックさんを雇っていたそうです。初代の祖父から、2代目の父、3代目の私まで、誰も本職の料理人はいないんです。

その後、南町通のライブラリーホテルさんの場所が当時は問屋街で、その一角に移転し、少し業態を変えたようです。お座敷でコース料理を提供し、ステーキも出すお店でした。1枚5,000円程度のステーキが飛ぶように売れるなど、官公庁と取引のあるような会社の方が、たくさんお金を使ってくれたそうです。いい時代ですよね。

初代が開いた西洋フランス料理「キッチン エリーゼ」(写真提供=ハミングバード・インターナショナル)

−高度経済成長期真っただ中ですもんね。

青木 そこである程度財を築いたのかどうか分かりませんが、本町のこの場所(ハミングバード本町店)にあった自宅を取り壊してビルを建てました。最初は貸していたらしいですが、東京で修業をしていた父が、パスタ屋さんが仙台でも流行することを見越して、ここでパスタ専門店「ハミングバード」を開業しようと考えます。しかし祖父が健在の時は許してもらえず、1978年に他界した後、1980年にオープンしました。

祖父が亡くなって祖母も元気がなくなったこともあり、南町通の店は閉め、SS30の28階に「旬味 きゃらん」という懐石料理の店を1990年にオープンしました。そこでは母がおかみさんをやっていました。

その前に、実は「ハミングバード仙台泉店」という店がありました。1982〜83年ごろ、カー用品の販売や車の修理をするお店と一緒になった商業施設に出しましたが、1年持たずに閉店してしまいます。店舗数が少ない中で1店舗失敗すると負債を返すのに大変で、何とか耐えながら経営をつないでいた1998年に私が入社しました。

3代目としてハミングバード・インターナショナルを営む青木社長

−入社はどのような経緯で。

青木 ちょうどその年、父が突然1億円ほどの借り入れをして一番町に70坪ほどの店(ハミングバード一番町店)を作るという大勝負に出ました。現在は「ハミングバード ヴェッキオ」として営業していますが、実はそこを作ったのが飛躍のきっかけになったんです。それまではおしゃれ好きな若者中心に人気のある店でしたが、より広い層に知ってもらうことができました。

ところがオープン直後は常に閑古鳥が鳴いている状態で、父は金策に走っていてマネジメントに力を注ぐことができない。それで、当時アメリカに留学していた私が戻って来ざるを得ませんでした。まだ23歳の右も左も分からない状態で、一番町店の店長に就きました。

先代が勝負に出た一番町店は、現在もハミングバード ヴェッキオとして営業(写真提供=ハミングバード・インターナショナル)

−その時はどんな気持ちでしたか。

青木 長男ですからゆくゆくは継ぐことになるだろうとは幼少期から思っていましたが、こんなに早く戻ることになるとは考えてもみませんでした。自分の力を試したい、力を付けたいという思いでアメリカに渡って、その経験を生かして将来は経営コンサルタントになりたいという夢を持っていましたので。

−それでも、なぜ決断したのでしょう。

青木 状況が状況だったこともありますが、弱気な言葉や態度を絶対に見せなかった父から「帰ってきてくれ」と言われたのがショックだったんですよね。そこから建て直しをして5年間ぐらい奮闘しました。食いつなぐのがやっとの状況から徐々に持ち直し、2003年に旬味 きゃらんを閉めて「炙屋(あぶりや)十兵衛」を出店します。

−新業態に踏み切った理由は。

青木 旬味 きゃらんで親方をやってもらった職人さんがいらっしゃったので、その人的資源を生かすことが前提としてあり、その上で父に焼き鳥屋をやりたいという意向がありました。「焼き鳥屋は狭くて煙たくてメニュー数が少ない。その真逆をやればウケるんじゃないか」と言って、広くて煙たくない、メニューの充実した店を作ろうという発想で始まりました。

当時50代の父が「飲み放題の店ばかり増えて、大人が行けるような店がないんだ」とも言っていましたね。やや高級路線でくつろげる店をと、父と私で意見を交わしながらイメージを固めていきました。内装にもお金をかけて、父が古道具屋さんを回って什器(じゅうき)や調度品を見つけてきて、それをデザイナーさんに預けて形にしてもらいました。

大人がゆっくりくつろげる雰囲気の「炙屋十兵衛」二日町本店(写真提供=ハミングバード・インターナショナル)

−その時に店作りを一通り経験されたんですね。

青木 私は留学先から戻ってきて休みなしでずっと現場で働いていたので、焼き鳥屋文化を知らなかったんですよね。それでも父は店舗開発の部分を任せてくれました。どういう焼き鳥を出せばいいのか、東京でいろいろな店を食べ歩き、比内地鶏というおいしい鳥に出合って、この鶏で勝負しようと決めました。メニューに関しては大枠を私の方で考えて、料理人の方々にさらに踏み込んで味作りをしてもらいました。

立地に関しては大反対しました。当時、周りにあまり店がない二日町でやることについて父に意見したら、もちろん家賃的なこともあったとは思いますが、「国分町に入ると埋もれてしまう。店は気付いてもらわないと、無いのと一緒だ」と話していました。

そもそも新業態にも最初は反対でした。ハミングバード2店舗と懐石料理屋があって、さらに新業態を加えると客層も違えば客単価も違う。こんなに非効率なことはない。旬味 きゃらんを閉めた時はハミングバードに一本化にするいいチャンスだと思い、一本で攻めた方がいいんじゃないかと話しましたが、「そうじゃない、リスク分散だ」と。

−先代の判断を、いまはどう思いますか。

青木 業態を収斂(しゅうれん)していくべきだと言っていた私が、いまは増やしていますから(笑) クリエイティブと言っていいか分かりませんが、父はいろいろな発想で店を考えることができていたんだと思います。確かに一本でやっていたら経営で打てる策は少なかったかもしれない。多く持つことで可能性は広がりました。でもやっぱり非効率だとは、いまでも思っていますけどね。

取材・構成:菊地 正宏
撮影:松橋 隆樹

 

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株式会社ハミングバード・インターナショナル

〒980-0014 宮城県仙台市青葉区本町2-6-16 青木ビル3階

TEL:022-225-0522 FAX:022-215-6509

1957年7月1日創業、1975年4月1日設立。事業内容は飲食店経営業務全般。社員数は正社員89人、パート・アルバイト380人(2020年4月現在)。

運営店舗:osteria humming bird(本町店)、osteria humming bird(セルバテラス店)、pasta&pizza humming bird(石巻店)、trattoria humming bird(泉パークタウンタピオ店)、trattoria humming bird(ララガーデン長町店)、humming bird VECCHIO、炙屋十兵衛(二日町本店)、炙屋十兵衛(S-PAL店)、究極の親子丼 炙屋十兵衛(三井アウトレットパーク仙台港店)、南欧バル INATORA、炉地BAR 八兵衛、PASTINOVA(シャポー市川店)、HUMMING MEAL MARKET COFFEE&BAR、PUBLIC HOUSE、大衆酒場 稲虎2、うどん酒場七右衛門(新伝馬町店)、うどん酒場七右衛門(S-PAL仙台店)、Route 227s’ cafe TOHOKU、ハミングバード・デリバリー

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