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ヴィ・クルー(前編)憧れの業界で前途洋々の人生から一転、いばらの道へ

乗客を乗せて走るバスのデザインから板金、塗装、改装、移動販売車やボンネットバスなどの車体製造を行う株式会社ヴィ・クルー。2019年には中国企業と合同でEV(電気自動車)のバスを開発するなど、事業を拡大している。同社の成功のストーリーを知るには、子どもの頃からテレビの世界に入るのが夢だった佐藤全(あきら)社長の大学時代まで、時計の針を巻き戻す必要がある。夢を断って地元に帰り、父親の会社の事業再建に挑んだ、苦くつらい道のり。

憧れの業界で前途洋々の人生から一転、いばらの道へ

−ヴィ・クルーを立ち上げるまでの経緯を教えてください。

佐藤全(以下、佐藤) 父親が作ったオートパルという中古バスや乗用車を販売する会社の経営再建のために、秋田の大学を出てから白石に戻って1995年に入社しました。2006年に車体整備部門を分社化する形でヴィ・クルーを作って13年たっています。分社化といっても自分で資金を用意したベンチャー企業ですね。

入社する数年時、実家に帰ってくる途中にこの場所が造成されているのを見て、こんなところで商売をやる人がいるんだねと祖母に話したら、「お前のお父さんだよ」と。もともと乗用車の販売もやっていましたが整備がメインで、まちの小さな工場のイメージでしたから、こんなに大きな場所で何をやる気なのかと驚いたのを覚えています。

父は、これからの時代はリサイクルに向かうと予測していたようなんですね。現にその数年後、バスが規制緩和になって、新車しか登録できなかったのが年式を問わなくなり、今まで廃車にしていたようなバスもきれいに直して使う時代になりました。増して今、ますますリサイクルが盛んになっていますよね。その先見性はすごいと思います。

当時の上棟式の写真

−家業を継ぐつもりはなかったそうですが。

佐藤 さらさらありませんでした。私は3つ子の長男で、入学式だなんだと、小さい頃からテレビ局が取材に来るような、ちょっとした田舎のアイドルだったんですね。そんなことも影響しているのかもしれませんが、小さい頃からテレビ番組を作る仕事をしたいと思っていました。

大学に進学した時に、放送作家のアルバイトから始めたいと思って探したんですが、当時は携帯電話もネットもなく、どうすればいいのか分かりません。テレビ局の前まで行ったこともありましたが、さすがに使ってくれと言う度胸はありませんでした。その帰りに、とあるバンドのコンサートポスターを見て、そこにイベンターなどテレビ局の関係者が来るんじゃないかと、バイトで忍び込みました。

開演前の休憩時間に、それらしい人に近づいていって、テレビ番組を作りたいんですとアピールしました。リクエストしてもらえれば即興でコマーシャルを提案してみせますと言って、お題を出してもらってそれに応えて、というのを何回かやったら名刺をくれて、今度遊びにおいでと言われました。今思えば人払いだったんでしょうけど、翌日行ったら「本当に来たの?」と。でもせっかく来たんだからと、アルバイトをさせてもらえるようになりました。そこから契約社員になって、その後別の会社で企画制作部門の取締役まで上っていきます。

大学時代に放送作家として多くのCMを手掛けた佐藤社長

−まだ大学生ですよね。

佐藤 そうです。秋田の自動車メーカーや農業機械メーカーのコマーシャルなどを二十歳くらいの時に作っていました。

その会社が東京に進出するに当たり、イベンターや音響、照明、舞台など業界の垣根を越えた会社にしようという話があり、企画制作部門を任せたいと言われました。ほかに大手の広告代理店からも声を掛けてもらっていて、時代は就職氷河期でしたが、自分は卒業後の道がいろいろと用意されている状況でした。

一応親に進路を伝えないといけないなと思って、実家に帰って、東京に行こうと思っていると話したら、駄目だと。なぜかと聞いたら、会社が大変なんだと聞かされて。粘りに粘られて、結果的には私が折れて、白石に戻ることを決めました。声を掛けてもらっていた人たちに謝りの電話を入れましたが、未練たらたらでしたね。

−それでもなぜ決断したんですか。

佐藤 やっぱり、育ててもらった恩ですよ。そういう厳しい状況でも仕送りをしてもらったおかげで大学を卒業できて、自分で稼いでいたとはいっても、一人で大きくなったわけではないですから。それとおやじは小さい頃から家にもいなくて一生懸命仕事に打ち込んでいて、弱音を吐いている姿なんて見たことがなかったんです。そういう父親から助けてくれと言われたのが、ショックでもありました。あれが人生最大の決断ミスだったんじゃないかと、今でも思う時もありますけど(笑)

社内に張られたオートパルの社訓

−環境が一変して最初はご苦労されたかと。

佐藤 それまで飛ぶ鳥を落とす勢いで周りからちやほやされていたのが、つぶれそうな会社に入ったんですから、天国から地獄ですよね。周囲の風当たりも厳しく、会社にお金がなくて車を仕入れるのも大変だし、人の弱みに付け込んでこんなことを言うんだなという人にも会いました。車も好きではなかったのでよく分からないし。初めの3年間は毎日つらくて、辞めたい、辞めたいの繰り返しでした。

家に帰って妻に愚痴を言うと、だから前の業界がいいと言ったでしょう、あなたなら大丈夫だから今から戻ったらどうかと言われていました。それでいよいよ駄目だとなった時に父に退職届を出して、前の会社に戻らせてもらおうと考えました。ところがその会社の方から、「自分の父親を助けると決めて帰ったのに、うまくいかないから戻ってきたい? 当時お前は天才だなんて評判だったけど、そうじゃなかったんだな。そんな人間はいらない」と言われて。ショックでしたよね。

ところが実はその会社も経営が厳しい状況で、戻ってきても地獄、残っても地獄なんだったら、親孝行のために残るべきだということで言ってくれたんです。そのことは後々分かるんですが、その会社もなくなってしまいました。

ヴィ・クルー社屋と工場

−八方ふさがりの状況から、気持ちはどのように変化していったんですか。

佐藤 一軒一軒地元のお客さんを回って営業する中で、田植えを手伝ったり種まきを手伝ったりして、秋になると軽トラを持っていったら、「分かった、買ってやる」と言ってもらえて。そういうすごく近いお付き合いさせてもらうなど、地元の人たちには本当によくしてもらいました。私は甘党なんですが、冬至の時期になるといろんな人から、あんたのために冬至カボチャを作ったよと電話が来て。行くと、べたっとそのまま手にのせられたりね(笑) そういう地元の人たちの温かさに触れて、文句を言っていても仕方がないと思うようになりました。

取材・構成:菊地 正宏
撮影:松橋 隆樹

 

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株式会社ヴィ・クルー

〒989-0215 宮城県白石市斎川字伊具田25-1

TEL:0224-24-3511

2006年10月3日創業。事業内容は車体整備事業(鈑金、塗装、艤装、電装)、リニューアル事業(車両改造、室内改造)、車体製造事業(ボンネットバス等)、自動車部品の開発、販売事業、EVバスの開発及びメンテナンス。2006年にみやぎものづくり大賞、2015年に第7回みやぎ優れMONO、経済産業省おもてなし経営企業受賞。総合力を生かした企画実行力を強みに、人・車・地球を救う自動車メーカーを目指しています。

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