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ライターバトン -22- 「まだ物心ついていないので」

仙台を中心に活躍するライターが、リレー形式でおくります。前任ライターのお題をしりとりで受け、テーマを決める…という以外はなんでもアリの、ゆるゆるコラムです。

まだ物心ついていないので


 「平成」になじみきる前に新時代を迎えてしまった感が否めない、昭和生まれの昭和育ちである。こどもの頃に家にあったテレビのチャンネルはガチャガチャ回すやつだし、電話は黒電話だ。500円硬貨が発行されたときには、「ほうらピカピカだあ。重たいねえ。ペラペラの紙のお金と同じ枚数だけ交換してあげようねえ」などとお年玉のほとんどを親に巻き上げられたことをしつこく覚えている。そんな頃を思い起こせば、周りの大人は今の時分よりも随分と“大人”だったよなあ、と思う。なんというか、分別とか、落ち着きとか、物事の道理とか、そういうものを“ちゃんと”弁えている“大人”。自分の親も、親戚も、近所のおじさんおばさんも、学校の先生も、みんなきっちり大人だったように思う。「自分も大人になったら、こういう風にちゃんとするんだろうなあ」などとぼんやり考えていたが、残念。あの頃の自分よ、不惑を越えて久しい今もまだ“ちゃんとした大人”になどなっていないぞ自分。食べものの好き嫌いはあまり変わらないし、買う本の半分は漫画だし、早起きが苦手なのも相変わらずだ。何より思考回路に成長がない。書いてて情けなくなってきた。

趣味と実益を兼ね、昭和時代の雑誌やVTRを掘り起こしている。その中で、戦後から高度経済成長期、そしてバブルへと突入していく時代の人々の暮らし、風俗、流行などを追いかけているのだが、その写真や映像に登場する“大人”たちの大人っぷりに改めて驚いたのだ。戦後10年を経て中野好夫が「もはや戦後ではない」と記した昭和30年代、街を行く背広姿の男たちや割烹着姿の女たちは、20代半ばにして現在の40歳くらいの雰囲気がある。40歳を越えた人々などは、もはや老成の域だ。それが1970年代も半ばになると、背広姿の雑踏の中に大学生らしき自由な服装の若者たちが目立つようになる。その顔つきは、明らかに10年前の同世代とは違う。むしろ現在の20代や30代に繋がる若さを有している。誰もがはやく大人にならなければいけなかった時代が終わり、こどもでもない、大人でもない、モラトリアムを経ることが許される時代が始まったのだ。

 とはいえモラトリアムはその名の通り猶予期間であり、人はみな何らかの通過儀礼を果たして大人へと成長していく。おもちゃや漫画は処分し、バカな柄のTシャツやトンチキコートからダークスーツに着替え、浴びるほど飲んでいた酒を嗜む程度に控え、朝は二度寝などせず早起きしてジョギングやヨガに勤しむのである。もちろん炊飯器から直接白米を食べたりしない。ペットボトルのお茶もちゃんとコップに移して飲むんである。サウイフモノニワタシハナリタイ。しかし現実は、といえば、本棚からあふれた漫画に囲まれてバカなTシャツいっちょうで明るいうちから酒を飲み、二度寝の顔を猫に踏まれて起こされる、どうしようもない自分がいる。つい先日も、従心を越えた親に「フリーランスなど、テイのいい無職です」と言われ返す言葉がなかった。すみません。あらまほしき大人になるには、もう少しかかるかと思います。何ならまだ、物心ついていないので。

次回

 次にバトンを渡しますのは、かつて籍を置いていた出版社の同僚だった吉田美奈子さん。営業部時代から「おもしろい人だなあ」と思っていましたが、編集部に転属になってそのおもしろさが企画や文章にめちゃくちゃ活きるようになり、現在もフリーランスのライターとして多方面で活躍中。最近、緑の多いところへ引っ越したそうで、本格的な植物栽培と農業に取り組むとか取り組まないとか。「で」で始まる感性豊かなコラム、楽しみにしております。

-21-「煮詰まり過ぎて、今」 -22-「まだ物心ついていないので」-23-「デフラグしたい」

ナルトプロダクツ(佐藤 隆子)

山形県山形市生まれ。大学卒業後、不動産会社、仙台の出版社を経てフリーランスの編集・執筆業に。飲食・サービス業関連のアドバイザーなどもちょこちょこ。

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