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クリエイターインタビュー|小山田 陽さん(後編)

建築デザイン事務所H.simple Design Studio代表の小山田 陽(おやまだ あきら)さん。建築家としてのキャリアを持ちながら、平成29年度クリエイティブ・プロジェクト「荒浜のめぐみキッチン」でのコミュニティづくりの活動をはじめ、幅広くデザインの仕事を手がける小山田さんにお話を伺いました。

 

―仙台に移住したきっかけは何でしたか?

1つは、東京での仕事にある一定の満足を得たからだと思います。憧れの二川先生に自分が担当設計した建築を撮影してもらうという大きな目標を達成して(前編参照)、一区切りついた感じがしたんです。その最初の撮影が、実は東日本大震災直後の春先だったんですが、そのタイミングも仙台への移住を決めた大きな要因になりました。自分の担当設計でお施主さんに喜んでもらうことはとても嬉しいことで、その仕事は自分としてもいろいろな意味で満足度の高いものだったけど、一方で震災で苦しんでいる人が何万人もいることには、やっぱり目をつぶれなかったんですよね。

―仙台に来ることに迷いはありませんでしたか?

ありませんでしたね。こっちで必要とされていることは、友人知人の話からわかっていましたので。妻の実家にも私の実家にも近くなり、孫の顔を見せやすくなってじいちゃんばあちゃんを喜ばせることもできるし、子育てもしやすいし、プライベートの面でもこっちに来てよかったと思っています。

―仙台に来た後はどういったお仕事をしていましたか?

主に学校の校舎や体育館、公共の屋内プールといった公共建築の被災状況の調査業務と、その復旧設計業務と工事監理業務です。被災前と同じように直すだけでなく、補強が必要だとこちらが判断した場合、公共の建築物で税金を使わせていただくので、構造面や経済面での妥当性を証明できないと補強の設計・施工に取りかかれないんです。ある体育館の復旧・補強の仕事では、大学の先生に意見を求めながらも膨大な説明資料をつくる必要があり、1か月半くらいで終わるところが半年ほどかかりました。当時の社長には笑いながらも叱られたけど(笑)、構造的な安心の下で子どもたちが毎日過ごせるようになったので満足しています。

震災後の非常に大変な時期でしたが、そういった仕事をさせていただいたおかげで、デザインに対する考え方が変わっていきました。

仙台に移り住んでからの仕事を振り返る小山田さん

―どのように変わりましたか?

それまでは、どちらかといえば見た目の良し悪しにウエイトを置いていたんですが、それよりも「何かを変えること」が大切だと思うようになりました。デザインの本質がファッション(表面的)ではないことは前から感じていたんですが、さらに一歩踏み込んで、「安心して授業ができるようになった」とか、「明るく挨拶できるようになった」とか、「お客さんが前より増えた」とか、そういった変化を生み出さなければいけないと強く思うようになりました。

―その事務所には何年いたんですか?

2年間いました。そのあと1年ぐらいは、主夫をやっていたんです。妻から「私も働きたい」と言われたのもあるし、私自身は疲労の蓄積でちょっと休みたかったのもあり、妻が働きに出て私が家事や2人の子どもの育児をしていました。正直言うと主夫業は非常に大変でしたが(笑)、父親が子どもと一緒にいる時間を長く取ることができるのは、一般的にはある意味贅沢なわけで、なかなかいい経験をさせてもらったと思っています。

―今はお2人とも働いているんですか?

そうですね、家事や育児も協力しながら楽しんでやっていますよ。私は朝子どもを保育園に送るところからはじまり、日中仕事の合間に食材や日用品の買い物をしたりすることもあります。そして18時には子どもを迎えに行ってご飯をつくって一緒に食べます。夕ご飯の前後くらいに妻が帰ってくるので、仕事が忙しいときはそのタイミングで交代して仕事に戻ります。事務所も保育園も小学校も自宅から近いので、全部徒歩で済ませられる。市街地がコンパクトな仙台のよさだと思いますね。

―その後、独立した理由を教えてください。

実は建築じゃない仕事をしたかったんですよね。お客さんの要求を本質的に実現するために必要なものが、何千万円もかかる建築ではなくて、名刺やパンフレットやパッケージデザイン、webサイトだったということは結構あるんです。

お客さんの課題を解決する方法として建築以外のスキルも身につけたくて、この事務所を「デザイン事務所」にしました。さまざまなスキルを身につけることは、建築にもプラスになりますしね。

―独立後はどういうお仕事をしていますか?

ロゴや名刺、チラシやパンフレットをつくったり、椅子やテーブルといった什器や展示用の棚・カードケースとか、販売促進用の物品などもつくります。最近はお店の内装や外装など、建築に近いお仕事も少しお受けするようになりました。お客さまは宮城県内の方で、お住まいの地域に根ざしたお仕事をされている方が多いです。

また、東日本大震災のメモリアル展示関係のお手伝いをさせていただいたりもしています。せんだい3.11メモリアル交流館、山元町震災メモリアル展示「東日本大震災と日々の防災」では、SSDデザインチームの設計担当として携わりました。

小山田さんが設計担当として携わったせんだい3.11メモリアル交流館内の展示(1枚目)と山元町震災メモリアル展示「東日本大震災と日々の防災」(2枚目)

―東京の仕事と仙台の仕事、違いを感じたことはありますか?

東京では大きなプロジェクトに関わることができても、プロジェクトが終われば関係が途切れてしまうことが多いんですが、仙台の場合は物理的にも心理的にもより近い存在のお客さまが相手なので、そのまま関係が続いていくことが多いです。もちろん大変な部分もありますけどその分人間味を感じますし、仕事にも生活にも深みが出て楽しいです。それは仙台で働くことのよさだと思います。

―仕事をする上で大切にしていることを教えてください。

1つは、大学時代の恩師の富永先生の「本質を大切にしなさい」という教えです。もう1つは、「素直である」ことですね。東京で勤めていた事務所の代表の城戸崎先生が、素直かどうかをすごく気にする方で、悩むと必ず「どっちが素直かな」って所員にも意見を求めてくるんですよ。かっこつけすぎていないか、無理がないかということですよね。誰かの機嫌を取るためにやるんじゃなくて、本質のために「素直な」選択を取りたいと思っています。

―本質を見る目を養うために、どんなことをしていますか?

デザインに関して言えばいいものを見ることがスタートだと思いますが、本質を見るためにはしっかりとその人・事象と向き合うことが大事だと思います。昨年から仙台市沿岸部の津波被災地ではじめた活動「荒浜のめぐみキッチン」でタッグを組んでいる(株)荒浜アグリパートナーズの渡邉智之さんから「最近奥さんといるより、小山田さんといる時間の方が長い」って言われちゃうぐらい、しつこいんでしょうね、私は(笑)。でも自分をさらけ出して、時間をかけてしつこいぐらいに話をしないと本質は見えてこないですから。

「徹底的に向き合うことを大切にしています」

―「荒浜のめぐみキッチン」ではコミュニティづくりの活動をしていますが、今コミュニティづくりに取り組む理由とそれがなぜ荒浜なのかを教えてください。

コミュニティづくりに取り組む理由は、その土地に根づいている生業とか、人が集まる場所を大事にしたいという想いからです。私の実家は祖父の代からさくらんぼ農家で、今は父が引き継いでいるんですけど、私が幼いときはさくらんぼの時期になると親戚が横浜や千葉あたりからもみんな集まってきて、2週間くらいヘロヘロになるまで収穫して、「もう来年はやらない」なんて言いつつも最後は温泉に入って笑顔で解散、なんてことがずっと続いていたんです。さくらんぼのおかげで親戚が集まれるってすごいなと思うんですよ。また、母が児童養護施設で働いていたので、正月やお盆には帰省先がない子たちがうちに来て一緒に遊んだりもしていました。そんな環境で育ってきたので、血のつながりがある人もない人もみんなが集まれるような、そんな場所をつくってみたいという気持ちがあるのかもしれません。

小山田さんの実家のさくらんぼ。土地に根づく生業として、人が集まるきっかけとして大切な役割を担っている

それがなぜ荒浜だったかについては、自然の脅威とめぐみが背中合わせになっていることへの共感ですね。実家が最上川のすぐそばで、昔はよく氾濫して亡くなった子どもも大人もたくさんいたそうです。海と川の違いはあるけど、人間の力じゃどうにもできない自然の脅威は共通していて、感情移入しやすいというか、なんか自分事になっちゃうんでしょうね。その反面、氾濫する場所だからこその肥沃な土地があって、たとえば最上川沿いのさくらんぼ畑といえば「おいしいさくらんぼが採れる畑だな」と地元の人はわかったりするんです。自然の脅威とめぐみが両方あるところが荒浜にすごく似ているなって、最近になって気づきました。

生まれ育った山形での経験が現在の活動につながっていると語る小山田さん

また、荒浜(仙台市東部沿岸部)が、私の自宅から車で30分で行ける1番近い津波の被災地だからというのもあると思います。私はそもそも震災復興のお手伝いをしたいという想いもあり仙台に移住してきたわけですが、復旧工事といった仕事としてのお手伝いはひと段落つきました。が、まだ何か少しでも被災地の力になれればという想いがありました。仙台に来てからいろいろと被災地をまわりお手伝いをしてきましたが、1番自分の生活圏に近い場所だからこそ継続して活動を続けられているのだと思います。コミュニティづくりにおいて「続ける」ことがどれだけ大事なことか、最近身をもって感じてきています。

「荒浜のめぐみキッチン」の様子。五橋ベースと荒浜ベースの2拠点で活動をしています

―最後に、今後仙台でチャレンジしていきたい仕事について教えてください。

「荒浜のめぐみキッチン」で目指していることと同じで、その土地の生業と資源を大切にしようと頑張っている人を応援したいですね。仙台らしい、山形らしい、みたいな。その土地に紐づくものを大切にすれば、その地域・地方の個性が出てくると思うんです。東京のものを輸入してきて、東京の二軍三軍が増えるよりも、小さくてもその土地らしいものが増えてほしいので、そういう取り組みをしている人を応援していきたいですね。

行政には、そういう人を応援できるような、仙台らしさを大事にするお金の使い方をしてほしいなと思います。仙台もそういう場所になると楽しくなるし、他の地域からも人が集まるようになると思うので。

取材日:平成29年12月7日

聞き手:SC3事務局(仙台市産業振興課)、工藤 拓也

構成:工藤 拓也

 

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小山田 陽

建築家/H.simple Design Studio 合同会社 代表

1978   山形県生まれ

2005   法政大学工学部工学研究科建設工学修士課程修了

2005-11   城戸崎建築研究室勤務

2011-13   楠山設計勤務

2014   H.simple Design Studio 設立

 

[東日本大震災に関連する活動]

・せんだい3.11メモリアル交流館 SSDデザインチーム設計担当(2016

HOPE FOR project 活動メンバー(2016/2017

・「未来への記憶マップ『荒浜』」製作メンバー(2016/2017

・山元町震災メモリアル展示「東日本大震災と日々の防災」 

 SSDデザインチーム設計担当(2017

・荒浜のめぐみキッチン(2017/2018

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